社会そのほか速
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床やカーペットの洗浄、ガラス磨き、トイレ清掃などの仕事は、いわゆる「3K」と思われがちだが、元気なあいさつが飛び交う社内の雰囲気は明るい。社長の田中正吾さん(59)は「一人一人が誇りを持って仕事をしていますから」と語る。
元芸能人という異色の経歴の持ち主。ポップス歌手としてデビュー、NHKの大河ドラマにも出演するなど30代までは俳優として活躍した。
芸能界で生きていくことに限界を感じ、求人広告会社を起こしたのは1986年。翌年、需要が堅調に伸びている清掃業界に転じたが、「飯のタネにはなっても、人から見下される仕事という意識でした」と振り返る。3人いた社員が全員去ってしまった時、やはり清掃業は印象が悪いと思った。
転機が訪れたのは90年代半ばのことだ。ある経営者研修で、「君がそんな考えでは社員がかわいそうだ」とはっきり言われた。「その人はお弁当屋さんでした。自己中心的だった自分を恥じました」
社内研修に力を入れ始めたのは、それからだ。かつて自分も感じていた「稼ぐため仕方なくやっている」という意識。これについて徹底討論させた。仕事の意義とは、人に必要とされる仕事とは――。社員の研修は毎月行い、アルバイトも3か月に1回は研修を受ける。自らも講師を務め、「『ありがとう』と言われる仕事をしよう」と訴えた。
次第に、「親切で、マナーがいい」「何を頼んでも笑顔でやってくれる」という顧客の評価が定着してきた。「芝居は、目の前で観客から拍手をもらえる仕事だが、お掃除はそうはいかない。でも、お客さんのお役に立つという点ではどちらも一緒なんです」
若い社員には「安全圏で生きるより、失敗してもいいからやってみよう」と説く。それは身をもって学んできたことであり、未来を生きる若者へのエールでもある。(植松邦明)
【休日】アマとして劇団所属 社会問題をテーマに
東京中小企業家同友会の仲間で作る劇団「チームKITAYAMA」で、アマチュアとして俳優を続ける。2008年の発足以来のメンバーだ。「それまでは俳優だったことが時間の無駄だったと後悔していた。今は心からよかったと思えます」
劇団では毎回、社会問題を取り上げ、専門家を招いた勉強会を開いたり、仲間と議論したりしながらテーマを決めていく。今年は高齢化と教育問題を取り上げ、9月7日に公演した=写真中央=。
舞台ではダンスもこなす。「きついというほどの動きではなく、楽しいですよ」。週末の1日は練習に専念。本番前には2泊3日の合宿に臨む。
通常、プロの舞台公演は複数回開かれるが、この劇団は本番1回のみ。「半年かけて練習した成果が1回勝負。『元プロ』だって緊張します」
【道具】研修成果向上へ時間に区切り
10年前、ある経営者研修に参加した時にもらったストップウォッチ=写真=を大切に使っている。
外部で講演を頼まれることが多く、スピーチ時間を計るのにも使っているが、最も活躍するのは自ら講師を務める社員研修の時だ。
たとえば、「自分たちの仕事の使命は何でしょう。5分差し上げますから、グループで議論してください」と言って、スタートボタンをカチッと押す。
「時間を区切ることは研修の成果を上げるために重要です。長さは毎回の研修の中で決めています」
議論の後には必ず社員に発表してもらうのだが、その時もやはり、「では、発表時間は3分で」といった具合だ。
腕時計でも時間は計れるが、「手に収まるので、持っていると落ち着くんです」。講演や研修に手放せない必需品だ。
大会は3分3ラウンド。全8階級のうち、ライトヘビー級は最も体重が重いクラスで、下川さんは同階級としては1メートル70と小柄だが、その分スピードが持ち味だ。
体重がある選手のパンチは重くダメージは大きい。1984年のロサンゼルス五輪などに出場したコーチの黒岩守さんは「ライトヘビー級は選手の人数が少なく、経験が浅い。手数を出して、スピードで翻弄することが大事だ」と話す。
福岡県出身で高校卒業後、東京大に進学。大学の友人に誘われボクシングを始めた。練習を重ねて、成長を実感できる点にやりがいを感じた。
同大大学院を修了後に2年間保険会社に勤めたが、「オリンピックに医師として携わりたい」と医学部を志望し群馬大に入学した。脳外科医を目指しており、将来は6年後の東京五輪・パラリンピックでリングドクターとして選手をサポートするのが夢だという。
練習は授業後に前橋育英高校など高校のボクシング部の練習に参加。勉強も大変だが、寝る前には5~10キロのロードワークを欠かさない。国体終了後は、競技からは身を引くつもりだ。「国体は今後の人生に良い経験になるはず。今までやってきた練習の成果を全て出し切りたい」と話し、大舞台に臨む。
東京都武蔵村山市の福祉バス運転手塚田三与志さん(65)が、東日本大震災で被災するなどした船舶の模型を作り、被災地に届ける活動を続けている。
岩手県大槌町の民宿に乗り上げ、解体された観光船「はまゆり」を始め、港町のシンボルを模型にして贈ることで、被災地を応援する気持ちを伝えたいと考えている。
子どもの頃から船とバスの模型作りが趣味だった塚田さんが、被災船などの模型を作り始めたのは、震災から半年後の2011年秋。08年に路線バスの運転手を退職してから、愛好家で作る「商船模型同好会」に入っており、「はまゆり」の模型を作って船長らに寄贈しようという宮城県内のメンバーの呼びかけに応じた。計7個が被災地に贈られ、塚田さんが制作したものは、「鉄の歴史館」(岩手県釜石市)に展示されている。
それまでも被災地のために何かしたいと思っていた塚田さんは、その後も個人的に贈り続けることにした。「船にはロマンと希望がある」と感じてきただけに、模型で被災者を応援したいと考えたからだ。
12年には、「みやこ浄土ヶ浜遊覧船」(同県宮古市)の観光船「第16陸中丸」が、津波の難を逃れたことを知り、幸運の象徴として寄贈したいと模型を制作した。同社に申し出たところ喜ばれ、現在は乗り場窓口に展示されている。事務員の高屋敏(さとし)さん(42)は「精巧な作りに目を見張る。乗船するお客さん、特に子どもたちが喜んでいる」と感謝する。
模型は、同好会や船主を通じて得た船の写真や構造図を約50分の1のサイズまで拡大コピーして参考にし、木や紙を材料に組み立てる。船体のカーブや甲板の道具、船内の座席なども細かな作りで表現するため、完成までに3~6か月かかるが、塚田さんにとっては楽しみのうち。震災後に新たに進水した船舶の模型など制作中のものも含め、計6個を手がけてきた。
塚田さんが今夏完成させた2個目の「はまゆり」も、その一つ。震災遺構として復元しようと、大槌町が寄付金を募っているのを知り、PRに役立ててほしいと考えた。10月下旬以降、自ら同町に届ける予定だ。塚田さんは「震災や被災地のことを忘れていないということを伝え続けていきたい」と話している。
日本航空の経営破綻に伴い整理解雇された40歳代の元客室乗務員の女性が日航を相手に、社員としての地位確認などを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、解雇を無効と判断し、日航に賃金約1100万円の支払いを命じた。
中垣内(なかがいと)健治裁判長は「解雇する社員を選ぶ基準に不合理な点があった」と述べた。同様の訴訟は東京地裁にも2件起こされ、いずれも上告中だが、解雇が無効とされたのは初めて。
判決によると、日航は会社更生手続き中だった2010年9月27日、解雇の人選基準として「10年8月末時点で、年度内に2か月以上休職した人」などとし、同年末に客室乗務員84人を解雇。女性は体調不良で同年10月12日まで約5か月間休職していたため、解雇対象になった。
中垣内裁判長は判決で、日航が同年11月、労働組合の反発を受け、「同年9月27日までに復職した場合、解雇対象外」とする基準を追加していた点に触れ、復職の期限を同年11月まで遅らせても支障はなかった、と指摘した。日航広報部は「大変遺憾。判決内容を精査し、対応を検討する」としている。
国内航空3位のスカイマークは28日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、受理されたと発表した。
資金繰りが行き詰まったことから、同日夜の臨時取締役会で自力再建の断念を決めた。当面は航空機の運航を継続する方針。今後、全日本空輸を傘下に置くANAホールディングスに対し、経営支援の要請を検討するとみられる。負債総額は約711億円。
筆頭株主で、インターネット関連企業出身の西久保慎一社長は同日付で退任し、後任に有森正和取締役が就いた。また、国内の投資ファンド「インテグラル」が当面の資金を支援する。
スカイマークは2014年7月、欧州旅客機大手エアバスから大型機「A380」6機を購入する契約の解除に伴って、7億ドル(約830億円)の違約金の支払いを求められ、経営不安に火をつけた。その後、再建に向けて、不採算路線からの撤退を打ち出したほか、〈1〉全日空や日本航空との共同運航〈2〉投資ファンドからの出資受け入れ――などの交渉を進めてきた。
しかし、格安航空会社との競争激化も加わって利用客が伸び悩み、15年3月期の税引き後利益は136億円の赤字となる見通しとなっていた。資金繰りも悪化し、設立以来こだわってきた「独立経営」での事業継続を断念した。