社会そのほか速
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若者の職探しの拠点「ハローライフ」などを運営するNPO法人スマイルスタイル(大阪市西区)のワークコーディネーター古市邦人(28歳)は、「人生を楽しめているか。やりたいことができているか。その問いかけに答えられる人生を生きていきたい」と話す。
小学校教員の父親、専業主婦の母親、2歳年上の兄、2歳年下の妹の5人家族。京都府長岡京で生まれ育った。人前で話すことをしない控えめな幼少期。人を笑わせる話も、武勇伝もない「普通な自分」がコンプレックスだった。
しかし、兄を真似(まね)て始めたエレキギターを弾いていると、「みんなから教えてほしいと言われるだけで承認された気がした」と音楽に居場所を見つける。高校では友人とバンドを結成し、将来はレコーディングエンジニアの仕事に就けたらと考えるようになる。
音楽系の専門学校を見学して回ったが、卒業生がコンビニでアルバイトをしているような厳しい進路状況。古市は高校3年生の秋になって大学進学に切り替え、立命館大学文学部人文学科に入学する。「少しでも多様な学生が集まりそうな大学であれば学部や学科は何でもよかった。大学で自分の知らない自分、知らない世界を見つけたかった」と話す。
大学生となった古市は足つぼサークルに所属する。代表の「マッサージの技術を高めるのはプロの仕事。僕たちは20分のマッサージを通じて出会う方々のお話を聞いて、心を届けていく。足つぼというコミュニケーションを通じて、ひとと向き合うんです」という言葉に、大学で自分が求めていたものだと参加を決めた。
1回生の夏休みが終わると、古市はサークル代表に就任する。マッサージ店でアルバイトをする一方で、バイクで日本を旅しながら、駅前で路上足つぼ店を開いたりもした。学生生活は充実していたが、卒業後の進路は定まらなかった。「全然働くイメージが持てなかった」古市は、3回生が終わると1年間休学をして海外に出る。
最初の半年はオーストラリア。語学学校に通いながら低賃金のアルバイトをする友人を横目に、自分で稼いだ方がいいと考え、出張マッサージを始める。住宅街近くの駅前でチラシを配り、ネットで広告を打つ。生活資金は稼げたが、次の旅のための貯金はできなかった。「英語力が足りずに、お客さんから電話を切られてしまうことが多かったので」と笑う。結局、飲食店を掛け持ちして資金を貯(た)め、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーを3か月かけて回った。
カンボジア・プノンペンの安宿で孤児院でのボランティア募集を見つけ、日本語と英語を教えることになった。つたない英語の授業で一緒に歌ってくれる子どもたち。教育が失われることの意味と教育によって子どもたちの未来が拓(ひら)けていく。刺繍(ししゅう)でも、バイクの修理でもいい。それが自分たちのやりがいや生きがいになっていく。教育がほとんど機能しない国で教育の価値の一端を感じとった古市は「子どもたちの成長に寄与することは楽しいな」と感じた。
12月に旅から戻った古市は、子どもたちの成長に携われる教育系企業を中心に採用試験を受け、早々に内定をもらった。就職活動を切り上げ、最後の夏休みはラオスを縦断した。
ラオスから帰国して古市がチャレンジしたのが、NPO法人スマイルスタイルが主催する若者の実現したい夢を大人が一丸となって応援する「ユメコラボ」。応募し、合格を果たす。誰もが日頃の感謝の気持ちを行動で示せる「肩たたき」を日本中に広げるもので、1000名以上が参加し、企業とのコラボレーション企画も実現した。
大手教育企業に入社した古市には、学習教室の立ち上げから運営までをひとりでやりきることが課された。マーケティング、生徒募集、保護者対応に先生のマネジメント。「すごくよい経験で楽しかった」という古市は、入社1年半後には複数の教室の運営をサポートするエリア担当のポジションへ就いた。その多忙な仕事の合間を縫いながら、カンボジアやフィリピンなどに足を運び、現地で学校に通えない子どもたちとの関わりを続けた。
「仕事は充実していましたが、それでは感じ得ない自分の熱量。わくわくしている。自分の心が燃えるような場所で仕事がしたかった」と古市は話す。
入社して3年が経(た)ち、生徒数や売り上げ増加率が評価指標となる世界で、やりがいは感じながらも楽しめていない自分との葛藤に、古市は退職を決意する。先のことは考えていなかったが、「国内外からひとが集うゲストハウス、心身を癒やすマッサージ、子どもたちを育む寺子屋が併設しているようなコミュニティー」を作りたいと考える。
しかし、物件探しがうまくいかないなど悩んだ古市はユメコラボでお世話になり、就職後もつながりのあったスマイルスタイルの塩山諒代表に相談の連絡をした。そこで塩山氏から「中高生に接するなら、夢の実現や働くことなど、彼らの卒業後の世界を知ってからでもいいのではないか」と示唆を受ける。ちょうどスマイルスタイルでは、ハローライフ事業で、若者と仕事の多様な接点を作るワークコーディネーターを募集していた。
「自分のやりたいことはいつでもできる。むしろ、現場支援やビジネスの作り方を学ぶことも大切で、塩山さんと仕事ができるわくわく感が大きかった」と古市はスマイルスタイルで働くことを決意する。
ある福祉業界を離職した男性は、他人の目を気にするタイプで、微細なことで深く悩み、人間関係が不得手だった。その上、彼は営業職でのインターンシップを希望した。当時、営業のスキルがあるとはお世辞にも言えなかったが、懸命な姿がインターン先の社長や副社長の心を動かし、採用につながった。
「生まれて27年間、ずっと自分に自信がなく、自分を責めながら苦しんで生きてきたが、その苦しみが活(い)かせると思う」という言葉を聞いた。古市は「感動しました。失敗体験などで積み重なった自己否定。彼はそれを消化し、その経験を共感に変えて他者に届けられている」と、この仕事と若者の可能性を強く感じている。
最近、父親が脳梗塞で倒れた。もともと心臓が悪く、去年、補助人工心臓の植え込み手術をしたところだった。補助人工心臓をつけているため、指定の病院から2時間以内のエリアから離れての行動は出来ず、介護人が24時間必要という不自由な暮らしを送っている。
この4月に父親と古市は散歩をした。うまく言葉を紡げなくなった父親がそっと古市に話をした。「やりたいことをやって生きた方がよかったかもしれない。お前はいま楽しいんか。やりたいことができてるんか」。父親の問いかけに、「楽しくやってるよ」と古市は答えている。
(次回は12月9日掲載予定です)
樺昭人さん 76歳 NPO法人「たくみの会」理事長
自分の手で住宅を直すことが難しい高齢者らの依頼を受け、格安で修繕を行うボランティア団体が福岡県久留米市にある。
樺(かんば)昭人(あきと)さん(76)の呼びかけで、発足して約17年。依頼は年間600件前後に及ぶ。「おかげで住み慣れた家に住み続けられる」という喜びの声が、活動の支えだ。
◇
製薬会社の元営業マン。東京の本社で総務部長を務めていた57歳の時、親の介護のため、早期退職したのが転機になった。
自分も妻も実家は福岡県。父親が久留米市の病院に入院したのを機に、夫婦で同市に移り住んだ。親の世話をしながら、やりたかった油絵の教室に通った。生活が落ち着いてくると、「若い時に人の世話になった分、お返しをしたい」と考えるようになった。
暮らしに余裕がなく、奨学金で高校に通った。大学に進学できたのは、高校卒業後、地元の食品会社の社長が3年間雇ってくれて、学費をためることができたからだ。
◇ ◇
パソコンなら高齢者に教えられるかと、久留米市の社会福祉協議会を訪ねると、担当者が、独居の高齢者の悩みに関する調査結果を見せてくれた。「壊れたドアを修理するお金がない」「電球の交換では業者が来てくれない」という嘆きに目を奪われた。
その場で方向転換を決意。日曜大工の経験もなかったが、業者から工具の扱い方やふすまの張り替え方を教わり、1998年にグループを設立。2年後にNPO法人にした。
依頼は水漏れの修繕、床板の交換、庭木の伐採、手すりの取り付け……と多種多様。穴だらけのふすまを見ると、「すきま風で寒かったろうに」と胸が痛む。料金は、専門業者の半分から3分の1程度に抑えている。
現在の会員は約30人。退職した会社員や主婦らが中心だが、現役の大工や左官もいる。報酬は1日ふすまを張り替えても1200円と、「交通費と弁当代が出る程度です」。
課題は会員の高齢化だ。平均年齢は75歳。入会しても「朝早い作業や力仕事がつらい」とやめる人が多い。一方で、依頼は途切れず、1か月待ちも珍しくない。
絵筆を持てるのは週末だけになったが、「必要とされている」という実感は何物にも代え難いという。「新しい技術が覚えられるし、仲間もできる。認知症予防にもなって一石三鳥です」と笑った。(西部生活文化部 堀家路代)
◇ ◇ ◇
頼れる存在求められる
「みずほ情報総研」(東京)が昨年行った調査によると、一人暮らしの高齢者が困っていることとして、「家の中の修理、電球の交換、部屋の模様がえ」を挙げる人が最も多かった。
一方、利用してみたいサービスを聞くと、「緊急時にかけつけてくれる」(48.8%)、「話し相手、困った時の相談相手」(21.1%)などが目立った。
同社シニアコンサルタントの山本眞理さんは「日常生活の直接的な支援だけでなく、話し相手や頼れる人の存在が強く求められている。そうした助け合いを作り出すような仕掛けも必要だ」と話す。
Q 厚生年金に加入した人は、実際にはいくらぐらい受給していますか。
A 会社員が加入する厚生年金は、勤めていた期間が長く、賃金が高かった人ほど、金額が多くなる仕組みです。
では、会社で長年働くと、受給額はどうなるでしょうか。厚生労働省が、厚生年金に20年以上加入していた人の年金額を集計したところ、平均月額は月14万8422円でした(2013年3月末現在)。厚生年金の加入者は、65歳以降に基礎年金(国民年金)も受給できます。このデータには、本人名義の基礎年金の金額も含まれています。
受給額を男女別に見ると、男性の平均が約17万円なのに対し、女性はその6割の約10万2000円しか受給していません。女性は出産や子育てで仕事を離れたり、低賃金のパートなどで働いたりする例が多いからです。
このデータで厚生年金の平均加入期間を見ると、男性が36年5か月なのに対し、女性は10年ほど短い26年3か月となっています。加入期間中の年収の平均額(推計値)も、男性が494万円、女性320万円と、170万円余りの開きがあります。こうした格差が、老後の年金額にも反映しているのです。
男女格差を是正するためには、子育てをしながら働きやすい環境を整えることが必要です。厚生年金には、育児休業や産前産後休業を取った期間中の保険料を免除する仕組みが設けられています。
ただ、女性が出産を機に離職するケースも多いため、保育所の整備など、年金制度の枠を超えた支援をさらに拡充することが欠かせません。
ところで、まだ受給が始まっていない人で、将来の受給額が気になる人も多いでしょう。以前もこの欄でお伝えしましたが、日本年金機構は受給見込み額を知らせるサービスを実施しています。
50歳代の加入者は、毎年届く「ねんきん定期便」に、現在と同じ条件で年金制度に加入し続けたと仮定した将来の見込み額が記載されています。40歳代以下の人も、日本年金機構ホームページの「ねんきんネット」というサービスで、見込み額を試算することができます。(大津和夫)
高齢者では、寝たきりにつながる恐れもある大腿(だいたい)骨(太ももの骨)の骨折。
岩手医大の八重樫由美助教(公衆衛生学)の調査では、2012年の患者数は25年前の3倍以上に増えて約18万人に上った。女性の骨折率は男性の約3・5倍だ。
大腿骨骨折は、毎年10月以降に増えて1月にピークを迎える。骨折予防に詳しい鳥取大の萩野浩教授は冬に増える原因について、「着ぶくれして動きづらくなるほか、風呂場の脱衣所やトイレなど寒暖の差が激しい場所で、血圧が急に変動してふらつくため。屋内での骨折が7割を占める」と説明する。
予防法としてはまず、骨を強化するために、カルシウムやその吸収を良くするビタミンDを食事で取ろう。1日に牛乳1杯。サケや生シイタケにはビタミンDが多い。日光浴も有効だ。次に運動。片足立ちやウォーキングでバランス感覚などを鍛える。室内の寒暖の差を減らすために暖房器具を効果的に使うのも大切だ。萩野教授は「1度骨折した人は、大腿骨骨折の危険性が数倍になる。骨密度を測り、骨粗しょう症の治療も検討しましょう」と話す。
60歳で定年を迎えた後も働き続ける人が増えている。
企業に65歳までの雇用確保を義務づけた改正高年齢者雇用安定法が昨年施行され、希望者は原則65歳まで同じ会社で働くことができるようになった。
継続雇用は現役時代より大幅に賃金が減るケースもあるが、働く意欲を保ち続けられるよう、公的な給付金制度が設けられている。「高年齢雇用継続基本給付金」と呼ばれるものだ。
対象は定年後の賃金が60歳時点に比べて75%未満に減少した人で、給付額は最大で定年後の賃金の15%。賃金の減少率が大きいほど給付額は多くなる。仮に60歳時点で月給40万円だった人が定年後に同26万円(65%)に減った場合、2万6130円の給付金が受け取れる計算だ。
給付金を受けるには、〈1〉雇用保険の加入期間が5年以上〈2〉60歳以上65歳未満の雇用保険加入者――であることが条件となる。給付は最長5年間だ。
定年後に別の会社へ再就職した場合でも、賃金が現役時の75%未満であれば「高年齢再就職給付金」が受け取れる。ただ、こちらは期間が最長2年。雇用保険の基本手当(いわゆる失業手当)の受給残日数が100日以上あることが条件となる。