社会そのほか速
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私事ながら、夫の勤め先のテクノロジー企業が2015年から「無制限有給休暇制」を施行することになりました。
もっと正確に言うと「有給休暇制度」を廃止し、休みたかったらいつでも周囲と相談して休むように、そして何日休んだか会社は記録しない、というシステムになったのです。
シリコンバレーでは同様の「無制限有給休暇制」の会社が増えています。日本でもおなじみのEvernoteや、社員数が1万人を超すVMWareなどもその一社。この制度の先駆けとして知られるのはDVDレンタルや動画制作・配信を行うNetflixで、2002年からもう10年以上この仕組みです。「カリフォルニア州の規定では有給休暇制度は必須ではない」と気づいたのがきっかけとか。
ここ10年ほど、シリコンバレーのテクノロジー企業では毎日出勤しない人もたくさんいます。顔を合わせてする必要がある会議の時間だけ会社に行く、とか、毎週1~2日は自宅勤務と決めているとか、3時くらいに会社を出て子供や家族と過ごして夜になってから自宅で仕事を再開する、とかいろいろな働き方が当然になってきました。よく日本から来た人が「フレックスのコアタイムは何時ですか?」という質問をこちらの会社でするのですが、そもそも「コアタイム」という概念がありません。
働く人のやる気が高く、かつ仕事を成果ベースで把握しやすい、というテクノロジー企業だからこそできることではあるのですが、社員が「いつ働いているのか」ではなく「何を達成したか」にフォーカスする習慣が根付いており、その上に成り立つのがこの「無制限有給休暇制」なのです。
実際のところ、有給休暇が無制限にとれるからといって「やった! 2カ月クルーズに行くぞ!」なんていう人はまずいません。フレックスタイムだからといって成果も出さずダラダラし続けられないのと一緒です。むしろ、どれくらい休暇を取っていいのかの目安がなくなるせいで休暇を取りづらくなるという人も多いようです。
さらには、会社側にとっては現実的なメリットもあります。
カリフォルニアでは会社を辞めるときにそれまでの「未消化有給休暇日」を給与に換算して支払うことになっており、それがかなりの額になることが多々あります。企業側はこうした「未消化有給休暇日分の給与」を会計上の負債として貸借対照表に載せなければなりません。しかし「無制限有給休暇制」であればこの負債が生じないのです。
というわけで、「有給休暇が無限に取れるようになった! 社員を尊重している!」とばかりに手放しでは言えない「無制限有給休暇制」ではあるのですが、それでもやはり「会社と個人の関係」の変化をうかがわせるものではあるでしょう。
IFTTTというベンチャーがサンフランシスコにあります。
2010年創業、これまでに3850万ドルを調達してきました。「イフト」と発音する妙な社名は、If this, then that(もしこれだったらあれ)の頭文字をとったもの。いろいろなオンラインサービスを連携し、「あるサービスで『これ』をしたら、別のサービスで『あれ』をする」という設定ができるサービスです。IFTTTでは「これ」をトリガー、「あれ」をアクションと呼んでいます。「トリガー」が起こると「アクション」が自動的に起こるわけです。
例えば、Flickr(フリッカー)というオンラインの写真共有サービスに自分が写真をアップロードしたら、その写真を自動的に自分のTwitterアカウントのプロファイル写真にする、とか。この場合は、アップロードがトリガー、プロファイル写真変更がアクションとなります。IFTTT自身もオンラインサービスで、ウェブサイトにログインして利用します。モバイルのアプリで利用することももちろん可能。
と聞いても「うーん、それがなにか?」と思われる方も多いことと思います。私も創業当初からIFTTTの名前は時折耳にはしてきたのですが、「便利そうな気もするけど使い道がイマイチ思いつかない」という状態が何年も続いてきました。
しかし最近、照明機器やサーモスタットといった「物理的なもの」もインターネットにつながり、その手の「もの」もIFTTT経由で操作できるようになってサービスの幅も広がってきました。そこで「よし使ってみよう」とIFTTTにユーザ登録してみました。
現在IFTTT経由でつなげることができるサービスや「もの」は、161種類あります。そのうちのひとつで、家にあるフィリップスのHUEというLEDライトをつなげてみました。HUEはインターネットにつながる照明機器。携帯やコンピュータから遠隔操作でスイッチのオンオフをしたり、光の色をさまざまに変えたりすることができるのですが、それだけだと高価なおもちゃ感が拭えません。そこでIFTTTで天気予報情報サイトとつなげて、「日が昇る時間にライトをつける」という設定をしてみました。私の住んでいるところでは今の日の出時間は朝7時過ぎなので、ちょうどいい感じです(なお、当地は3月から11月までは夏時間となるので、年間を通じて日の出が6時前になることはありません)。
また、TwitterとEvernoteをつなげて、自分のつぶやきが自動的にEvernoteに記録されるという設定もしてみました。
さらに、昨年海外旅行中に携帯もラップトップもまとめてなくしたことに鑑み、「電話が鳴る設定」というのもしてみました。「なくしたけれども、まだ着信音が聞こえるくらい近くにある」という、都合の良い状態を想定しております。まずは、「自分のメールアドレスからIFTTTのメールアドレスに特定のメールを出すと携帯に電話がかかる」というのを設定。「携帯はなくしたけど、ラップトップは持っている」時のためのものです。さらに「自分のメールアドレスに誰かが特定のメールを出すと携帯に電話がかかる」という設定もしてみました。こちらは「携帯もラップトップもなくして、誰かにメールしてもらう」という時のためのもの。ま、単に誰かに頼んで電話してもらえばそれでよいのですが、世の中いつ何が起こるかわかりません。とりあえずフェールセーフということで。
ということで、IFTTT、なかなか便利そうな気がします。でも、何かもっと決定的に便利なことがあるような気もするのですが、それはこれから少しずつ使いこなしてみたいと思います。無料で誰でも登録できるので興味のある方は使ってみてください。
「まだ何の問題を解決したいか分からないけれど、NPOはやりたい」。こんな一見奇異なことを言う社会起業志望者がいる。
本来ならば「解決したい問題があり、その道具としてのNPOであり、社会起業である」というのが、正論だ。だから、お前らおとといきやがれ!となるところだが、僕はそうは言わない。
というのも、人間の内面なんて結構カオスだからだ。NPO経営者の奇麗なストーリーの多くは後付けだったりすることが往々にしてあるし、当初感じた問題意識が事業やり始めてから二転三転することだってある。
例えばこの僕。僕は親がベビーシッターをしていた。その親から、子どもが熱を出していつも行っている保育園に預けることができず、看病のために会社を休んだら、会社をクビになったお客さん(双子のママ)の話を聞いた。ふざけんな、と憤り、そこから「子どもが熱の時に、保育園の代わりに預かれる仕組みを創ろう」と日本初の訪問型病児保育を立ち上げた。
このストーリーは嘘(うそ)ではない。事実、自分の人生を揺るがしたエピソードだ。しかし、人に伝えやすいよう、この転機の前後にあった色々な思いを切り捨てて話している。
本当は、社会起業する前にITベンチャーを経営していて、その世界への失望があった。お金は稼げるし、刺激的だし、未来もある。でも何か足りなかった。それは、自分が心の底からやりたい、と思っていたことではなかったのだ。だから迷っていた。自分は如何(いか)に生きるべきか。如何に働くべきなのか、を。
そんな時に僕は心の奥底にしまっていた、憤りに「出会った」のだ。話を聞いたその瞬間には、憤るしかできなかった。心の中に引っかかり続けていたその棘(とげ)に向き合う機会がキャリアへの迷いの中から生まれた。そして何となく、この問題をもっとよく知りたい、あわよくば何かしら答えのようなものを得たい、と思ったのだった。
「なんとなく」胸が痛んだのだ。「なんとなく」そのままにはしておけないような気がした。だから、確固とした鉄の意志を当初から持っていたか、と問われたら、正直に告白しよう、NOなのである。僕はそんないい加減な人間だ。そして多くの人の内面も多面的で複雑で、そしていい加減だったりする、と信じている。
だから、最初の最初から、崇高で確固とした問題意識なんて、なくて良いと思う。NPOをやりたい。しかしこれぞ、というテーマは見つからない。でも、このままじゃダメだと思う。世の中もっと良くなるような気がする。最初は別にそれで良い。
ではどうすれば良いか。「何となく心に刺さっている棘」に会いに行けば良い。ニュースで見て、新聞で見て、友達に聞いて、自分で体験して、何となく許せなかったこと、納得が行かなかったこと、悲しかったこと、心動かされたこと。そうした棘に、実際に会いに行けば良いのだ。
いじめられていた友人を見てみぬふりして、今でも胸がしくしく痛む、のであれば、いじめに関する本を読み、いじめの相談に乗っている機関にヒアリングに行けば良い。漫画で読んだ児童虐待のシーンに、強く心を揺さぶられたのであれば、児童養護施設に見学に行けば良い。現場に飛び込むことで、僕たちの心は更に揺さぶられる。そしてもっと知りたくなる、あるいは更に深い問題意識が生み出されてくる。
だから、棘に会い、棘の痛みに向き合うことによって、我々は近づけるのだ。真の問題意識に。そして一生取り組んで良いと思えるテーマに。
さて、一方でもう「解決したい問題」を持っている、という人もいるだろう。そういう人にはこう言いたい。おめでとう、と。ならば後はそれを「どう解決するか」を考えるだけで良いからだ。
次回は解決策を考えるにあたって、強力な方法を紹介しよう。
前回は自社WEBの充実等、採用における具体的な募集手法を語ったが、今回は選考を中心とした採用の「仕組みづくり」の話だ。
小さい規模で活動しているうちは、採用も経営者が1人で切り盛りしていける。ところが、組織の規模が大きくなると、そうもいかない。採用担当のスタッフを決めて、チームを組んで動いてもらうことになる。
経営者の独断と偏見で選抜していた初期のころと異なり、複数の人間が選抜にかかわるとなると、やはり組織のなかに「採用の仕組み」をつくっていかなければならない。
なにせ、たとえ人不足であっても、集まってくれる人ならだれでも採用すればいいというわけではない。自分たちの組織の理念を理解し、ともに活動してくれる人。そして自分たちと相性のいい人。そうした人を採用したいのは当然である。
とくに、経営者にとってきついのが、採用した人が短期で辞めてしまうこと。その人の育成にかかったコストがまったく意味のないものになってしまう。これは極力、避けたい。
活動に共感し、中長期の展望をもって、いっしょに働きつづけてくれる人。こうした人をすべての採用担当者が一律に見極められるようにするためにも、「採用の仕組み」づくりは不可欠なのだ。
採用は大きく、「書類審査」→「面接」の2つの段階を経る。
書類審査では、自社で求める基礎的な条件を満たしていない人は弾(はじ)く。
たとえば、低所得層向けの学習支援事業で講師を募集するというNPOの場合、当然教える技術が求められるので、大学卒業レベルや塾講師経験ありなど、一定水準の学力があることはおそらく必須条件だろう。そうでない人はこの段階で落とすことになる。また、書類から見ても明らかに採用要件に合致していない場合は、この段階でお断りする。
次の「面接」では、書類ではうかがい知れない部分をチェックする。
この際に起こりがちなのが、面接担当者によって、採用の基準がバラバラになってしまうこと。なにせ面接する側も人間。さまざまなバイアスがかかってしまう。
たとえば、第一印象が面接担当者にとって、あまり好きではないタイプの人だと、点数もカラくなりがちだ。また、たくさんの資格をもつ応募者の場合、実際以上にいい人材に見えてしまうこともある。後者は「ハロー効果」と言って、顕著な特徴に引っ張られて、全体が良く(悪く)見えてしまう心理的なバイアスのことだ。有名大学を出ていることと、ビジネススキルが高いかどうかは一致しないにもかかわらず、全体的に優れたビジネスパーソンだと思ってしまう、というようなバイアスである。こうした様々な心理的な効果によって、適切な選考は妨げられる。
そこで、だれが採用担当になってもある程度同じ結果になるように、面接のための「チェックシート」を整えておくといいだろう。
採用担当のスタッフを中心に組織で検討し、面接で聞くべき質問項目や、判断の基準、チェックのポイントなどをリストにしておくのだ。
面接については、もう1つ注意すべきことがある。
それは、面接担当のスタッフが「圧迫面接」やセクハラ、パワハラまがいの発言などをすることがないよう、そのマナーを徹底させることである。
いまの時代、ウェブを通じて悪いウワサはあっという間に広がってしまう。心ない言葉やふるまいに傷つけられた応募者が、そうしたウワサの出所になることは十分にありうる。
「あそこって、偉そうな理念を掲げているけど、実際にやっていることは最悪」なんてウェブ上に書かれてしまったら、組織にとって大きなイメージダウンになり、ブランドが破壊される。
また、応募者というのは自団体のことを好きでいてくれる人なので、何かの折で協力者になってくれる可能性がある。例えば、フローレンスにおいては、「何かフローレンスの役に立ちたい」と採用に応募して来てくれた人がいた。その方はとても良い人だったが、残念ながら当該職種にはマッチしておらず、泣く泣くお断りした。そうしたら、その後、今度は継続的に寄付をする「寄付会員」になって下さったのだ。驚きであった。
このように採用活動によって、せっかく自団体を好きになってくれた、潜在的協力者の方々に、マイナスのイメージを与えてしまわないよう、細心の注意が必要なのだ。
そのためにも、面接担当者の教育は忘れないこと。研修などを通じて、面接する際の心構えや注意すべき質問、ふるまいなどを周知徹底していくといいだろう。
「自分がいなくなっても、つながりが途切れず深まっていくのを見るとホッとする」と話すのは、「認定NPO法人育て上げネット」若年支援事業部スタッフの吉岡理香(24歳)だ。
運輸業を営む父親とパートで働く母親、2歳年上の姉の4人家族。広島県江田島で生まれ育った。江田島には公立の小学校、中学校、高校があったが、両親の意向により広島市内の学校に通った。市内へ通勤する大人に交じり船で通学することに「当たり前の日常だったので嬉(うれ)しいとも、嫌だとも思ったことはない」と話す。
中学、高校も島から通学していたが、大学受験の準備のため、高校3年生の途中から市内で一人暮らしを始める。「勉強をしていればだいたい何でもうまくいく」と思ってきた吉岡であったが、受験を目前にした年末に突然、自分が友人らを見るときの物差しが成績の良し悪(あ)しになってしまっていないだろうか、と疑問を持った。
どうしていいのかわからないほどの衝動に、とにかく「勉強と一定の距離を取らなければやばい」と考え、大学受験をしないままに高校を卒業する。元来、勉強することが好きな吉岡は、勉強したい気持ちを捨てきれずに浪人を選択する。
転機となったのは、アルバイト先に営業で来ていた男性の言葉だった。「大学という学び舎(や)は勉強するのではなく、勉強以外のことを学ぶ場所だ」。海外のビジネススクールを卒業しており、吉岡からすれば「勉強がとてもできるひと」ではあるが、勉強と学びをわけて語るのが印象的だった。
「そこ(大学)に行けば変われるかもしれない。勉強から離れた視点を持って大学へ行こう」と決め、成城大学経済学部経営学科に進学する。偏差値で選ぶと過去の自分に戻るのではという不安から、「地元の人間が知らない大学」を探した。学部や学科にこだわりはなかったが、親の意見も取り入れる形で経営学科を専攻した。
「楽しみたい」。大学生活に吉岡が求めるものはシンプルだった。部活やサークル、学校のキャリア・プログラムなどにも積極的に参加した。1年生の夏休み前、1年間休学してフルタイムでNPO活動に従事していた先輩と出会った。「社会の課題、解決方法。実際に組織を通じて変革できたこと」など嬉々(きき)として話す姿に、そのような生き方や働き方ができるなら自分もやりたいと素直に思った。
そして3月11日、東日本大震災が起こる。NPO活動にかかわり始めていた吉岡は、次々と被災地に入っていくNPOの代表の情報をTwitterやFacebookで眺めていた。「これほどまで行動できるひとたちがいることに驚き、学生という守られた身分であっても一歩踏み出せない自分自身の存在を認識させられた」という。以来、自分が社会のためにやれることは何かと考えるようになる。
いまの自分が社会に出て役に立つのか。認めてもらえるのか。本当に自分がやりたいと思っていることができるのか。大きな不安と大きな期待の狭間(はざま)で揺れる吉岡は、学生向けのものから年代を問わないさまざまなイベントに参加するようになる。そして、ある被災地関連のイベントで認定NPO法人育て上げネットの存在を知った。
表層的な部分では特に問題なく見られるが、自分自身や自分と家族、自分と勉強、自分と社会との関係性で悩みながら生きてきた吉岡は、同世代の若者とその保護者を支援する仕事に強く関心を持った。
そして、大学2年生の8月に吉岡は1通のメールを育て上げネットに送る。「大学二年生ですが、御社で働きたいんです」という文章を書くまでは早かったが、決断のワンクリックがなかなか押せなかった。「働きたいという気持ちはあったが、大学を辞める決意まであったわけではない」と振り返る。2週間ほどのインターンシップを終えた9月、吉岡は大学に中退届を提出する。「震災を機に一日の大切さを感じるようになった。何か価値を提供したいとおぼろげながら考えていた気持ちが、メール送信のボタンをクリックしたと同時に、行動していくという決意に変わった」というのが理由だ。
アルバイトを経て、2012年4月から正社員として同組織で働いている。就労支援プログラム利用者には、自分よりも年上の若者が多かった。右も左もわからなかったが、吉岡は構えることなく自然体で若者にかかわり、自然であるからこそ若者に受け入れられてきた。若者とともに汗を流し、地域で活動し、被災地での合宿訓練への引率責任者も担った。就職活動などの出口よりも、支援の入り口あたりに吉岡はいる。
「初めて私たちの場に足を運んでから“馴染(なじ)む一歩”を大切にしています。何か気になることはないだろうか。笑顔を見せてもらえるだろうかと考えながら、少しでもこの場の楽しさを感じてもらえるようにしています。つながりが生まれれば自然と次の目標に足が向いていくように感じます。だからこそ、そこに注力しています。理想は、つながりの輪から自分が抜けてもそれが継続すること。学生時代から意識してやっていることとあまり変わっていませんが」と笑いながら話す。
今夏から、若年支援事業部を少し離れ、困窮家庭の子どもたちの学習と生活支援を担当している。目の前にいるのが子どもであっても、若者であっても、吉岡は変わらぬ自然体で接している。