社会そのほか速
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「風船爆弾はどんな兵器だったのでしょうか?」
中央大学(東京都八王子市)の学生取材班4人が2月下旬、旧日本軍の研究施設跡にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」(川崎市多摩区)で、館長にインタビューしていた。
学生たちは中大の学部横断型授業※「ファカルティリンケージ・プログラム(FLP)」のジャーナリズム部門の受講生だ。同部門には2~4年生の約170人が所属し、東京都内などのケーブルテレビ19局で放送される番組「多摩探検隊」用に毎月、10分間のドキュメンタリー番組を制作している。「多摩地域に埋もれた話題、人物、物語を掘り起こす」をキャッチフレーズに、企画から取材、編集まで番組作りのすべてを受講生が3、4人ずつのグループに分かれて担う。
この日の取材は、今年夏の戦後70年企画として、第2次大戦中に日本軍が開発した「風船爆弾」がテーマ。ディレクターで商学部2年の広瀬愛奈恵(まなえ)さん(20)は、祖母の昔話をきっかけに戦争のことを考えるようになり、昨年3月から、風船爆弾製造にかかわった元女学校生徒ら約50人に話を聞いてきた。「取材に協力してくれた方々も楽しみにしてくれている。いい番組にしたい」と話す。
◇
「取材は、学生が自分から課題解決に取り組んで学ぶアクティブ・ラーニングになり、総合的な人間力を育成できる」。FLPジャーナリズム部門で指導にあたる松野良一・総合政策学部長(58)は言う。自身もTBSの報道番組ディレクターなどの経歴がある。
経済学部2年の松原美也さん(20)は「多摩探検隊」向けに、多摩川の生態系を守っている市民団体を取材するため、河川敷の清掃活動にも参加して信頼関係を築いた。「取材を通じて、相手が何を考えているか、どうすれば心を開いてくれるかを考えられるのは貴重な体験だった」と語る。
番組の企画書をつくるためには、発想力や文章力が必要だ。取材交渉でコミュニケーション力も養える。撮影は班で行うので協調性も身に付く。
◇
FLPはジャーナリズム部門のほかにも、国際機関やNGO(民間活動団体)への就職を目指す学生に人気の「国際協力」や、地方自治体が抱える課題解決に取り組む「地域・公共マネジメント」など4部門があり、1年生の秋に志望動機書や面接で選考する。所属学部の授業やゼミと並行して取り組まなければならないため、学生の負担は重いが、FLPの人気部門では志願倍率が2倍に達する。「FLPがあるから」と中大に進学してきた学生も少なくない。
松野学部長は「縦割りな学部を超えた実践的な学習の機会を学生に与えることができる。今後も学生の高い意欲に応えていきたい」と話している。(伊藤史彦)
※学部横断型授業 専門分野の枠を超えた学習を可能とするため、各学部が連携して実施する教育プログラム。中央大の場合、全6学部の教員約50人が、所属学部の授業に加え、学部横断型授業の指導にあたり、2~4年生計約700人が履修している。
1885年に設立された英吉利(いぎりす)法律学校が前身。東京都八王子市や文京区などに6学部11研究科があり、大学院生を含めた学生数は約2万7000人。
太平洋沿岸の高台にある岩手県山田町立船越小学校。
2月17日の昼休み、相談室に遊びにきた児童らが、スクールカウンセラーの宮下啓子さん(54)に「怖かった」「サイレンの音が嫌だった」などと口々に言った。
その日の午前8時過ぎ、三陸沖を震源とする地震が発生し、震度3を記録した山田町の沿岸部には7か月ぶりに津波注意報が出された。発生直後、全校集会で体育館にいた児童約130人の中には、動揺して周囲を見回す子、声を押し殺すように両手で口を塞ぐ子もいた。
東日本大震災当時、船越小の校舎は今より10メートル低い敷地に立ち、津波は2階まで及んだ。児童や教職員は高台に逃れて無事だったが、校区内では家屋の4割が損壊した。
宮下さんは「震災の恐怖の記憶は根深い。普段は忘れていても何かのきっかけでよみがえる」と話す。
震災の翌2012年、臨床心理士の資格を生かし、被災した子どもたちの力になりたいと、大阪府内の中学校教員を辞めて岩手県宮古市に来た。県のスクールカウンセラーとして山田町などの小中学校を巡回する。
子どもたちは当初、震災の話には触れたがらなかったが、休み時間に声をかけたり、一緒にパズルで遊んだりするうち、話をする子も出始めた。
「絵を描くのが好きになった」。震災で父親を亡くした、ある小学校の高学年男児は面談でそう話した。理由を尋ねると、「お父さんが絵が得意だったから」と打ち明けた。父親を亡くした別の高学年の女児は「お父さんをよく思い出す。懐かしいというより、悲しいイメージ」と漏らした。
宮下さんは担任教諭らと協力し、子どもたちに少しずつ震災に触れさせる授業も始めた。
船越小6年のクラスでは昨年末、1995年の阪神大震災後に作られた絵本「かばくんのきもち」の読み聞かせをした。
震災後、無気力になったかばくんが、つらい気持ちを家族や友人に話す大切さを知り、元気を取り戻していく物語だ。地震にかかわる内容に表情をこわばらせる児童もいたが、宮下さんは苦しさに向き合うことで前へ進んでいけると伝えた。
個人面談で一人ずつ心理状況を把握した上で、今月3日の授業では、子ども同士が震災の体験を語り合った。冨山英恵さん(12)は「震災の話は友達ともしなかったけど、これからは逃げないようにしたい」と話した。
「震災を語り始めた子どもたちに寄り添っていけたら」と宮下さん。しばらくは被災地にとどまり、その思いをしっかり受け止めたいと考えている。
山田町 人口約1万6000人。東日本大震災では、沿岸部を中心に全戸の約4割が全半壊した。死者・行方不明者は824人。小学校9校、中学校2校、高校1校がある。船越小は昨年4月、被災3県で校舎が損壊した小中高校では初めて高台に移転した。
イオレは11日、「大学生のサークル」に関するアンケート調査の結果を発表した。調査期間は2月5日~24日、対象は「らくらく連絡網」を使用する全国の大学生149名。
学生の9割がサークル・部活などに所属
大学生に「サークルや部活に所属しているか」を聞いたところ、9割以上が所属していると回答。ジャンルごとに見ると、「学内サークル」が55.0%で最多。次に「部活」(32.2%)という結果となった。3位以下は「インカレサークル」(10.1%)、「所属していない」(9.4%)、「学生団体」(8.7%)であった。
「大学生にサークルや部活に所属しているか」
「サークル・部活以外で熱中していること」では、「趣味・習いごと」(17.0%)が1位。2位は「アルバイト」(16.3%)、3位「友達と遊ぶ」(16.2%)、4位「恋愛」(14.8%)となった。
「サークル・部活以外で熱中していること」
「サークルや部活に入るメリット」については、「交友関係が広くなる」と回答した大学生が最も多く、47.5%を占めた。2位以下も「友達や恋人ができる」(16.1%)、「先輩、後輩関係を築ける」(10.1%)など人間関係を築けることにメリットを感じている大学生が多い。
「大学生にサークルや部活に入るメリット」
サークルに所属している大学生が感じる「困っている・直したいところ」については、「1人お酒が強い人がいると飲みサーと間違われる」「上下関係が激しいこと。もっと上級生は後輩に対してフランクに振る舞うべきである。またそういった環境をつくるべきだと思う」「文化系のサークルですが、特に活動をした記憶がないほど、何もできないことです。入らなきゃよかったと後悔しています」「部活の日が多く、他の人と行動することがほぼできない」などの声が寄せられた。
JRの豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」は12日、最終便が予定通り午前11時50分に出発した。発車する大阪駅にはファンが殺到し、警察官の姿も見られた。また、沿線の駅などでも多くのファンらが最後の雄姿をひと目見ようとかけつけた。
[写真]JR千里丘付近を通るトワイライトエクスプレス。最後の雄姿に笑顔を見せるファンが多かった=12日午後12時5分ごろ、大阪府摂津市で
大阪府摂津市のJR千里丘駅でも、ホームや改札のある高架などに多くの人が集まっていた。大阪駅発車から10分ほどして同駅を通過。その瞬間、ファンらは一気にシャッターを切り、あっという間に同駅を後にした。地元の男性(65)は「たまたま来たんやけど、最後に見られたからええ記念やね」と笑顔をみせていた。
同府島本町のJR島本駅近くでも、最後の雄姿をカメラにおさめようと多くのファンが集まり、テレビの中継なども行われていた。
地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.7911829&lon=135.5513803&z=18
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
行政・商業・住宅などの街の機能を中心地に集約する「コンパクトシティ構想」。4年前の東日本大震災で被災した自治体のいくつかでは、防災機能にも優れた災害に強いまちづくりとして、このコンパクトシティ構想に基づいた計画が立てられました。その一つが宮城県山元町です。町では、一刻も早い復興の実現が求められる中で、住民合意を築き上げていく難しさが浮き彫りになっています。
4000人……深刻な人口流出
[写真]3つの市街地の一つ「新山下駅周辺地区」では復興工事が進む。写真中央のコンク リートの橋の部分が、JR常磐線の新山下駅となる
宮城県南部の沿岸に位置し、仙台市から車で1時間。イチゴ生産とホッキ貝漁が盛んな山元町は、町の総面積の3分の1となる約1900ヘクタールが津波で浸水し、水田、イチゴ畑、漁港などの産業基盤は壊滅的な被害を受けました。町民の半数以上の約9000人が津波で被災。死者635人、全壊・大規模半壊した家屋は2751棟にも及びました(2015年3月1日現在、山元町の発表。死亡者数には震災関連死含む)。
震災後の人口流出は深刻で、震災前の人口は約1万6700人でしたが、その23%、約4000人が町を離れました。すでに一部では災害公営住宅への入居や、造成された集団移転地の土地受け渡しも始まりましたが、いまも約1000世帯(2014年末現在)の町民が、応急仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らしているという状況です。
10集落を3つの新市街地に集約
[図]3つの新市街地に街の機能を集約する山元町のコンパクトシティ構想(山元町震災復興計画より)
2011年12月、斎藤俊夫町長がコンパクトシティ構想を前提とした復興計画の基本構想を発表しました。被災した沿岸部の10集落を内陸に新たに造成する3つの新市街地へ集約し、JR常磐線と2つの駅も移設するという計画です。
斎藤町長は、まず復興の完遂を2018年に設定しました。そして、その時の人口を1万3700人と想定します。その規模に合わせて、町をコンパクト・スリム化するのが狙いです。行政施設、病院や福祉施設などのインフラと、商業エリアや居住エリアなどを集約することで、縮小した人口規模とそれにともなう予算でも、効率的に町政を運営できるメリットがあります。
高齢化が進み社会保障費などが嵩むことが避けられない中で、行政の効率化は日本中の地方自治体にとって大きな課題となっています。長い歴史の積み重ねで出来上がった街を効率良く集約することは、一般的には極めて困難です。震災によって壊滅的な被害に遭い、国の大きな支援を受けて新たに街づくりをしていく被災地だからこそ、コンパクトシティ構想を実現できると言われています。
一方で、新しく作られる市街地以外の人にとっては、代々受け続いてきた土地を離れなくてはならない人が出てしまいます。また、大きな被害を受けた家屋と、高台で津波被害をまぬがれた家屋が、それぞれ存在するような集落では、新しい市街地に移れる人と移れない人が出てしまい、コミュニティが破壊されるケースもあるのです。
町長の進め方を批判する声
[写真]斎藤町長の町政運営は強引だと批判する山元町の遠藤龍之議員
いま山元町では、町長が発表した基本構想に基づいて、それぞれ個別の課題ごとに復興計画を進められています。ところが「町長の手法が強引だ」として、町議会が一斉に反発する事態となったのです。2013年12月には、議会で町長の問責決議が全会一致で可決。2014年4月の町長選挙では、町長を推す議員と対立候補を推す議員が真っ二つに割れ、斎藤氏が辛くも再選し、町長のコンパクトシティ構想が進められることになりました。しかし山元町の遠藤龍之議員は、選挙後は町議会の運営までも町長の独断専行が激しいと批判しています。
「町長は、町民との合意形成を図ろうとしないし、議員や職員との意思疎通にも欠けている。一昨年末の問責決議では全会一致だったが、選挙後の町議会は、町長に従う議員と従わない議員が7対6になった。それからは、誰が何を言おうと町長が強引に議決して、何も聞こうとしない」
こうした町長の強引な進め方は 、昨年の選挙では町長に一票を投じた町の人たちから批判が出ています。「町長が人の話を聞かな過ぎるから議会が割れるんだ。もう少し人の話を聞かないとダメだ」(50代男性)。
今年2月、斎藤町長は、仮設住宅について入居期間を一律に再延長しない方針を明らかにしました。来年夏に5年間の期限を迎える仮設住宅ですが、それまでに移転が適わない住民には1年間の「特例延長」を設けると説明するものの、仮設住宅の住民からは戸惑いの声も上がっています。『河北新報』(2月15日付)によると、斎藤町長は「被災者に自立を目指してもらう目的で取り組んでいる」と説明。「基本は自立だが、まだ難しい人も一定数いる。個々のケースを把握し、(対象外でも)それに応じた支援のありようを検討したい」と発言しています。
しかし町の調査に対して、無回答の世帯は特例延長の対象から外れます。個々に事情を抱えて自立再建の計画が明確に出来ない住民に対して、まずは仮設住宅から出ていくことを突きつけるやり方に反発が生まれているのです。
前述の遠藤議員は「我々が主張しているのは、町民が十分に納得できる話し合いが進んでいるのかということ」と言います。
例えば、2016年末にはすべて完成する予定になっている新しい3つの市街地で、宅地の分譲が決まったのは7割弱に留まっています。災害公営住宅への移転も、まだ全体の3割強。せっかく作られた新市街地でも、住民が集まらなければ地域経済が回らず、商業エリアが活性化されることはありません。「中心地になる『新山下駅周辺地区』は何とかなるかもしれない。しかし、あとの2つの新市街地は、本当に計画通りに人や店で賑わう町になるのか、まったく不透明だ」と遠藤議員は指摘します。
「復興を止めてはいけない」
[写真]仮設住宅から集団移転先に再建される自宅へ移転するのが待ち遠しいという上原イチ子さん
町民から戸惑いの声が聞こえるとはいえ、町長が再選したことからも分かるように、復興計画は概ね支持されています。
震災前には坂元駅近くにあった自宅が津波で流され、現在は仮設住宅で暮らす上原イチ子さん(82歳)は「いま町長が変わってしまったら、復興が止まってしまうでしょ。途中で変わるのはオカシイ」と言います。避難先を転々とした後に仮設住宅に入居しましたが、新市街地の集団移転先に造成される土地が今年6月ごろには引き渡される予定で、年内には自宅が再建できるそうです。
「やっぱり仮設住宅は窮屈。それでも慣れてきちゃったけど、やっぱり早く一戸建ての家に住みたい」
いま被災地では、建設現場の人出不足・資財不足が深刻で、上原さんの家を建てる工務店でも大工職人を確保するのが難しいそうです。さらに、移転先では震災以前の半分の土地しか分譲されません。庭や畑で野菜が作れなくなるのは残念と言う上原さん。それでも、ようやく自宅が新築できる目処が立ち、新居の出来上がりが待ち遠しい様子です。上原さんが震災前に住んでいた地域の人の多くが、同じ市街地に集団移転ができるので、それまでのコミュニティも継続されるので安心だと言います。
「今から人が減ってくばっかで、人が増えていくって事はないでしょ。人が少なくなるんだから、町がコンパクトになる方がいいでないかって思う。復興計画が無事に進んでいって欲しい」
「住民が納得できる復興を」
[写真]新市街地の造成・復興工事が進む一方で、それ以外の地域はまだ手つかずの状態。 中浜地区は、津波に呑まれた中浜小学校の校舎を震災遺構として保存し、その周辺 にメモリアル公園を建設して、防災教育やボランティアガイドの活動拠点とする 計画
こうして復興が着々と進む中、「新山下駅周辺地区」の造成地にあった農地の地権者であるKさんは、復興計画を強引に進めるやり方に納得できないと話します。Kさんは農地も自宅も津波被害に遭い、現在は仮設住宅で暮らしています。
Kさんは、「新山下駅周辺地区」など復興計画の対象地区のなかで約1.6ヘクタールの地権者ですが、すべてを拒否しているわけではありません。新しくJR常磐線の線路となる土地など、復興計画に欠かせない土地約1ヘクタールの売却には応じています。残ったのは、新山下駅となる周辺で、売却に応じなくても復興作業が遅れない土地の売却に限って拒否しているのです。
そんな折、宮城県の収用委員会は今年1月、町からの申請を受けて収用を認める裁決を下しました。今後、Kさんの土地は、強制的に収用される可能性ができてきたのです。
「農家の中には再開の目処すら立てられない人も多い。そんな中で、立派な田んぼを捨てさせて、米作りを再開させようという人間の権利を奪おうとしている。こんなやり方には納得できない」
計画完成まで迫るリミット
町の復興計画の完成は、2018年度末となっており、あと4年です。それまでに計画を1つにまとめなければなりません。復興は地域住民との十分な合意形成は必要不可欠です。強引なトップダウンと指摘される山元町のコンパクトシティ構想がどのように実現していくのか……。新しいまちづくりは全国的なテーマであるだけに、議論の行方が注目されます。
(渡部真/フリーランス編集者)
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。