社会そのほか速
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JR新長田駅南地区(神戸市長田区)の再開発ビルに29日、マンガやアニメ、フィギュアなどの「ポップカルチャー」関連の施設が集まる「神戸アニメストリート」がオープンした。阪神大震災後、空き店舗が目立つ市街地を<オタクの聖地>とし、にぎわい作りを目指す。(浅野友美)
市街地復興が思うように進まない同地区の空きテナント対策として、神戸市や商店街組合などは2013年3月、再生プロジェクトを始動。昨年11月、東京都の不動産コンサルティング会社の提案を採用した。県の復興基金を利用、イベントプロデューサーらが株式会社を設立し運営を始めた。
この日、「アスタくにづか3番館」など3棟で、フィギュア販売店やアニメソング歌手のライブが開催されるカフェなど8施設が営業をスタート。イベントが相次いで行われ、若者らでにぎわった。大阪府守口市から来た宮川元紀さん(26)は「アニメ好きでわくわくする。毎日でも来てみたい」と話した。
個性的な店が集まる「神戸アニメストリート」から3か所を紹介する。
◆コスプレ店「きゃらめる×くろぜっと」
「るろうに剣心」のはかまや「黒子のバスケ」のユニホームなど、衣装約200着を展示。約50着はレンタルでき、着用して商店街を散策したり、隣接するスタジオで撮影したりできる。レンタル料は5000円(学生3000円)。
◆プラモデル工房「ビルダーズベース・イイバ」
時間制で工作スペースを借り、スタッフの助言を受けながらプラモデルを作れる。接着剤やカッターなど基本工具の貸し出しは無料。エアブラシを使った塗装(有料)や、アレンジ用の部品の購入もできる。
◆痛車(いたしゃ)専門店「ボンズ」
車体に「萌(も)えキャラ」のイラストなどを飾る「痛車」を施工。デザインイメージを基に、車体に直接塗装したり、フィルムを貼り付けたりしてくれる。完成まで約3週間で、料金の目安は約40万~50万円。作業の見学もできる。
北陸新幹線開業後の誘客の目玉として、輪島市が整備を進めていた「輪島キリコ会館」(同市マリンタウン)と、「輪島塗会館」(同市河井町)が29日、輪島市内でそろって開館した。またキリコ会館が完成したことから、1993年度に着工された「輪島港マリンタウン」の完成式も開かれた。
キリコ会館には、能登の祭りで用いられる奉燈「キリコ」が、大小合わせて約30基展示。発光ダイオード(LED)の光の色が変化し、闇夜に浮かぶキリコの迫力ある姿を堪能できる。 輪島塗会館は、1階は展示販売スペースで、2階には、制作段階ごとにわんを並べて輪島塗の工程を紹介。制作に使うはけやへらなどの道具類の展示を充実させて、職人の世界を伝える。
入館料は、キリコ会館が一般620円、高校生470円、小中学生360円、小学生未満は無料。輪島塗会館は、2階展示室のみ有料で、一般300円、高校生200円、中学生100円、小学生以下は無料。問い合わせ先は、キリコ会館が市観光課(0768・23・1146)。輪島塗会館は輪島漆器商工業協同組合(0768・22・2155)。両館とも年中無休で、31日まで入館無料。
◇デンマークの8人披露
西日本の社会福祉法人などの招きで来日したデンマークの知的障害者のロックバンド「BALI(バリ)」が29日、桜井市の中央公民館で演奏し、橿原市内の障害者支援施設「ひだまり」の利用者らと交流した。
同国では、知的障害者が芸術の才能を伸ばす文化作業所があり、バリは2001年に結成された。メンバーは20~50歳代の男女8人で、北欧を中心に活躍。20日に3度目の来日を果たした。
演奏会では、ひだまりの障害者約40人がカーペンターズの名曲を合唱。県立高等養護学校卒業生のバンド「フォーエンジェルズ」は中島みゆきさんの「地上の星」などを披露した。その後、バリが「人生の愛の詩(うた)」など自作の曲を中心に演奏。リズミカルな曲に合わせて踊る障害者もいた。ひだまりを運営する社会福祉法人「橿原ふれあいの里福祉会」の吉田寿子理事長は「心に響く音楽。同じ障害者として施設利用者の希望につながれば」と話した。
菅官房長官はBS-TBSの番組で、いまだ実現していない沖縄県の翁長知事との会談について、拒まない姿勢を改めて強調しました。
「私は今、予算委員会の最中ですけども、国会の様子で一定のめどがついたら、それはお会いさせていただきたい、こういうふうに申し上げています」(菅義偉官房長官)
菅長官は、このように述べるとともに、政府側から会談を呼びかけることについても「考えたい」と語りました。また、沖縄県民の間に政府への不満が高まっているという指摘に対しては、「負担軽減が実際見えるようになることで理解してもらうしかない」と語り、嘉手納基地よりも南にあるアメリカ軍基地の返還の実現などを急ぐことによって理解を求めていく考えを示しました。
アメリカ軍・普天間基地の辺野古沖への移設工事をめぐっては、林農林水産大臣が、沖縄県の翁長知事が出している作業停止指示を一時無効とすることを30日にも発表することにしていて、菅長官も「行政の公平性からも翁長知事の指示は全くあたらない」と指摘しています。(30日00:11)
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
* * *
今、テレビ局では「コアターゲット」という言葉が、よく語られる。テレビ局側が最もテレビを観て欲しいと思っている世代のことで、コアつまり中核は、男女とも15歳から59歳までの人々である。
なぜ、テレビ局はこの「コアターゲットに」にテレビを観て欲しいのか? それは後で解説することにして、まず、筆者自身のテレビ人生を振り返りながら、時代、時代で、テレビはどんな人に向かって作られていたかを考えてみたいと思う。
評論家の大宅壮一が、
「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまい、一億総白痴化になる」
と嘆いたのは1957年(昭和32年)のことである。
筆者はその「一億総白痴化」のテレビを観て育ち、1978年(昭和53年)に、テレビの世界で仕事を始めた。テレビでコントを書きたい、テレビショウを作りたいという思いからであった。理想はクレイジー・キャッツと、ザ・ピーナッツの歌と踊りとコントの「シャボン玉ホリデー」である。
この頃、それまで大衆芸能と呼ばれていた落語の定席である寄席は、衰退の道を歩み始めており、大衆芸能と呼べるのは「テレビそのもの」ではないか、と筆者は思ったものだ。
筆者はまず、日本テレビ出身で独立して制作会社を作ったAさんの元で、コントを書いた。Aさんはコント番組や笑いのオーディション番組の名物ディレクターであった。会議から会議にベンツで移動する時は気分を変えるために「軍艦マーチ」を聞いていると、当時、運転手をしていた芸人志望のOちゃんから聞いた。
Aさんは、なかなか筆者のコントを採用してくれなかったが、その代わりなのか、よく話をしてくれた。
「テレビは大衆を相手に番組を作ってるんだ」
「はい」
「高橋、大衆ってなんだ?」
「ええと」
筆者が口ごもっているとAさんは、とても待っていられないとばかりにしゃべり出す。
「大衆ってのはな、その辺のバス停に並んでる人のことだ」
「バス停に並んでいる人って言うのはどんな人だ?」
「わかんねえのか。バカ。中卒集団就職だよ」
筆者たちは中卒集団就職の大衆を相手にコントを書いているのだった。だから、当時、ゴルフのコントと飛行機のコントは、書いてはいけなかった。テレビを観ている人はゴルフはやったことがないし、飛行機にも乗ったことはないからだ。…