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<サッカー>ハリルホジッチ氏、苦難の人生…紛争で母国逃れ

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<サッカー>ハリルホジッチ氏、苦難の人生…紛争で母国逃れ

 <サッカー>ハリルホジッチ氏、苦難の人生…紛争で母国逃れ

 サッカー日本代表を率いることとなったボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ監督(62)は13日、フランスからの長旅の疲れも見せずに記者会見に臨んだ。まずは覚えたての日本語を、思い出すように言った。
 
  ◇ボスニア紛争で母国逃れ
 
  「こんにちは」
 
  旧ユーゴスラビア生まれ。すらりとした長身に白髪で「東欧の知将」とも称される戦術家の人生は、栄光と苦難に満ちている。
 
  現役時代はストライカーとして活躍し、フランス1部リーグで得点王と最優秀外国人選手に2度ずつ選出。代表では1982年のワールドカップ(W杯)スペイン大会にも出場した。
 
  だが、引退して母国に戻っていた92年、ボスニア紛争が始まった。「人生でものすごく困難な時代だった」。詳しくは触れなかったが、以前、英紙の取材にこう振り返っている。「戦争は人を野獣にする。隣人ですら血を求めるようになった」。護身用の銃を誤射して負傷し、退院後、荒らされていた自宅を手放してフランスへと逃れた。「自分にはサッカーしかない」。車で寝泊まりしながらクラブを訪ね歩いた。生きるために歩み始めた指導者の道。だからこそ「サッカーのおかげで人生がすばらしいものになった」と感じている。
 
  祖国が同じ元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(73)は「親友です」。2007年に脳梗塞(こうそく)で倒れた先輩と同じ仕事をすることになった。「負けるのが嫌い」と語り、自他ともに認める厳しい性格。腕組みをし、会見中は質問者の顔を見つめる場面も多かったが「いつか(オシム氏に)日本に来て、試合を見てほしい」。険しかった表情が一瞬、緩んだ。
 
  早く日本に溶け込みたいと願い、そのための努力は惜しまない。会見が終わると、最後に日本語で伝えたいと自ら切り出した。「ありがとう」【大島祥平、鈴木英世】

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