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[写真]見た目も絵になる東山給水塔。かつては配水塔として活躍したが、現在は非常用応急給水施設に。周辺の住宅地になじむ佇まい
愛知県名古屋市千種区の覚王山日泰寺の北側にそびえ立つ「東山給水塔」で21日、約3年半ぶりの「一般公開イベント」が行われる。1930年に完成した名古屋最古の配水塔であり、覚王山エリアでは住民らに親しまれているこの給水塔。赤いとんがり屋根にグレーがかった白い外壁に絡む蔦など、メルヘンチックな印象に「ムーミン谷に建ってそう」という声も聞かれるなど、県外にも多くのファンを持つ。現在は配水塔としての役割を終え、非常用応急給水施設となっている東山給水塔の歴史や見どころを調べてみた。
覚王山一帯の高台に住む人々の生活に欠かせない存在に
[写真]建設当時の東山配水塔。のちに長崎市助役となる成瀬薫氏による設計で、名古屋市都市景観重要建築物、土木学会推奨土木遺産
現・東山給水塔は1930年に「東山配水塔」として誕生した。配水塔とは、浄水場でつくられた水道水を、塔の高さを利用して家庭などに送る役割を持つ。当初の姿は現在とは異なり、煙突のような筒形だった。
この配水塔は覚王山一帯の高台に住む人々の生活に欠かせない存在として、名古屋市の都市化を支えるとともに水道の発展の象徴になった。
しかし、1970年代後半より名古屋市東部がさらなる発展を遂げたため、1974年、東山配水塔が配水していた区域が1969年に完成した猪高配水場(名東区)の区域に切り替えられることに。43年間にわたる、配水塔としての役割をひとまず終えることになったのだという。
役目終えても壊されず、給水塔としてよみがえる
[写真]展望スペースは360度のガラス張りで、市内を一望できる
配水塔としての役割を終えたものの、この塔が壊されることはなかった。町のシンボルとして住民にも広く愛されており、残してほしいという要望が多かったためだ。協議を重ねた結果、震災対策用の給水塔に役割を変更して残すことに。1979年3月に「東山給水塔」としてよみがえった。
「塔の給水タンクにはつねに約300立方メートルの新しい水を備えていますから、いざという時には1人1日3リットルとして約10万人分の飲料水をご利用いただけます。頑丈に造られていますのでご安心ください」と、名古屋市上下水道局広報サービス課の山之下安治さん。
「当時としても塔の絵画的な美しさには定評があったようです。さらに、塔最上部からは市内が一望できるので、市民の皆さんからぜひ公開してもらえないか、というご要望に応え、最上部を改修して公開に至ったのです」。
当時、上層部に屋外回廊はあったものの安全上、関係者以外の立ち入りは難しかった。そこで屋内の展望スペースを設け、覆う形で赤いとんがり屋根が取り付けられたのだ。この印象的なデザインは、周辺の住宅地に馴染むようにという配慮ゆえだった。
迎えた1983年6月5日、オープニングセレモニーは大盛況だった。公開の1時間も前から行列ができ、参加者は6000人に上ったという。
定期イベントとしては3年半ぶりの公開へ
[写真]日泰寺の北側にちょこんと赤い屋根を覗かせる東山給水塔。開放日は日泰寺縁日と合わせて楽しみたい
その後、定期的に一般公開を行い、展望スポットとしても愛されてきた東山給水塔。2001年からは、毎年春と夏の二回、塔の内部を開放していたが、平成2012年3月以降は配水池工事のため中止に。工事を終えた今年3月から予定されている配水池工事までのワンチャンス、定期イベントとしては3年半ぶりに晴れて一般公開する運びとなった。
らせん階段を上り、水道の歴史などの資料の展示や給水タンクを眺めながら、標高74.3メートルの展望スペースへ。360度ガラス張りで名古屋市内をぐるりと一望できる。いつも見ている町並みが、少し違って見えるのが新鮮だ。工事を終えたばかりの2号配水池を含め、現在も稼働中の5つの配水池がある場所を眺めることもでき、水道の働きに感謝の気持ちをもつ機会にもなりそうだ。
21日の一般公開は午前10時から午後4時。来場者には「名水」が1人1本プレゼントされる(数に限りあり)。昨年、名古屋市上下水道100周年記念事業として東山給水塔の東側に開館した「水の歴史資料館」を合わせて見学したり、今池交差点まで1.3キロメートルにわたって伸びる「すいどうみち緑道」を散歩するのもおすすめだ。
また、当日はすぐ近くの日泰寺参道にて月に一度の縁日も行われる。
地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.173498285843515&lon=136.9548466366471&z=15
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バリストライドグループは3月18日、鳥取県で5日間の農業インターンシップを実施し、新卒採用を行うことを発表した。
鳥取県で農業インターンシップ
近年、学生向けの就活対策サービスが浸透し、就職活動そのものが形式化されつつある。面接における学生の受け答えは画一化され、学生の志や個性の見極めが難しくなっている。
同社はITソリューションを軸に、教育、農業、六次産業化事業など、多様な事業を展開している。今後の新たなサービス構築とマーケット開拓に必要な人材の採用を目的に、学生の本質に迫る打開案として、農業インターンシップを企画した。
収穫の喜びも!?
農業体験のほか、マーケティングやプレゼンテーションなども
インターンシップは、鳥取県に保有する自社ファームで行う。3月25日~29日の間、原始的な共同生活を通して学生と向き合い、従来とは違った観点での採用を実施する。
内容は、行動力・協調性・計画性・向上心・利他性の見極めるための「農業」、「マーケティング」、地方経済の活性化をテーマにした「ワークショップ」など。また、経営陣や人事・地元の人々を相手に行う「プレゼンテーション」も実施する。
長崎大は20日、タブレット端末やスマートフォンなどの機器を活用し、長崎原爆の実相などを学ぶ平和教育用の教材を開発したと発表した。同大では「被爆当時と今との比較が簡単にできる。子どもたちの被爆への関心を高める手助けになってほしい」と期待している。
発表によると、小学校高学年向けの教材で、▽原爆落下中心地碑▽浦上天主堂▽長崎刑務所浦上刑務支所跡▽城山小の4か所のパノラマ写真や、被爆者の被爆体験の証言などの映像が用意されている。タブレット端末やスマートフォンなどに専用アプリを取り込むと、各地点の被爆直後の写真などを閲覧でき、向いている方向によって画像も360度動き、現在の様子との比較もできる。
同大教育学部の瀬戸崎典夫准教授は「子どもたちは普段から情報通信機器に慣れ親しんでおり、効果は期待できる」と話している。
今後はデータを増やすなどして、来年度にも長崎市教育委員会などへの配布を目指している。
子どもたちに読書普及活動を行う「伊藤忠記念財団」(東京)が、全国各地に伝わる昔話を方言で読み上げたマルチメディアデイジー図書の製作を始めた。その地域ならではの言葉で風習などを学ぶことができ、第1話として鳥取県東部に伝わる「因幡の白うさぎ」のCDが完成。県立図書館(鳥取市尚徳町)で貸し出しを始めた。
同財団は4年前から、全国の特別支援学校や公立図書館に、「桃太郎」「浦島太郎」など有名な昔話や童話の同図書を約180作品、無料配布してきた。
配布時のアンケートで、「地域の文化や風習を興味深く学べる教材がほしい」との声が上がり、各地の昔話に「方言」を取り入れて製作することに。誰にでも開かれた図書館を目指している県立図書館に、同財団が話を持ちかけて企画が実現した。
「因幡の白うさぎ」は、古事記に出てくる神話。サメに毛皮を剥がされ、海辺で泣いていた1匹の白うさぎを、大国主命(おおくにぬしのみこと)が助ける。白うさぎが取り持つ縁で、大国主命と八上姫(やかみひめ)が結ばれるというストーリーだ。
「とんとむかしがあったさーな」から始まるCDで6分間の作品は、同館支援協力課の三好明美さん(48)が台本を担当。県立米子西高美術部の生徒たちがイラスト16枚を書き下ろした。
かわいいウサギなどのイラストの下に字幕が現れ、読み上げる箇所は色が変わる。簡単な操作で、音声の速度や大きさも調節できる。
物語の随所で出てくる方言は、絵本の読み聞かせを行う「児童書を楽しむ会つくしんぼ」(鳥取市)の山田節子さんが監修し、音読も担当した。三好さんは「方言を知ることで、その地域に愛着を持ってもらえたら」と話す。
同館では、点字資料や大活字本などを置く「は~とふるサービスコーナー」に、パソコン1台を設置。同図書をいつでも利用できるようにした。授業などで活用している鳥取大付属特別支援学校の児島陽子司書教諭(54)は、「文字を読むのが苦手な子どもたちの世界が、ぐっと広がった。方言を学ぶきっかけになれば」と期待する。
全47都道府県の昔話で同図書の製作を目指す同財団は、各地の図書館に協力を呼びかけている。担当者は「少しずつ増やしていきたい」と話す。(北瀬太一)
◆マルチメディアデイジー図書 視覚障害者や文字の読み書きが困難な人向けに、パソコンを使って目や耳で読書ができる図書。イラスト付きで、童謡や昔話などが読み上げられ、理解を助ける。音声だけのデイジー図書もある。
「泣きまわすウサギを、かうぇーそうに思った大国主は、こう教えてやっただって」
(なきじゃくる うさぎを かわいそうに 思った 大国主は、 こう 教えてあげました)
「はよ川の水で体を洗って、そこに生えとるガマノホを敷いて、その上に乗って体を転がしんさい。そーしたら、おめえの体はようなるはずだけ」
(早く 川の水で 体を あらって、 そこに 生えている ガマのほをしいて、 その上に 体を 転がしなさい。そうしたら お前の体は よくなるはずだから)
「ウサギはごっついよろこんで、大国主に感謝してなあ」
(うさぎは とっても よろこんで、 大国主に 感しゃしました)
「あんたらあ、神さんは、八上姫に会いに行くだらあ。八上姫はきっと、心のやさしい大国主さんを選びんさるで」
(あなたたち神様は、 八上ひめに会いに行くのでしょう? 八上ひめはきっと、心の優しい大国主様をお選びになるでしょう)
セクハラ行為をしたとして女性職員から提訴された宮城県大衡村の跡部昌洋村長(66)が19日、辞表を提出した。
村議会を解散した直後の行動に県内唯一の村は揺れ、村民からは「無責任」「混乱させるだけ」と憤りの声が上がった。村長選は村議選(定数14)と同じ4月26日の統一地方選で行われ、村は想定外のダブル選挙に困惑している。
跡部村長は19日朝、代理人を通じて斎藤善弘・村議会事務局長に辞表を提出し、受理された。4月8日付で辞職するとしている。
損害賠償を求める訴訟を今月13日に起こされた跡部村長は、自身への不信任を決議した村議会を17日に解散したばかり。辞表提出後、「私事でお騒がせして申し訳ない。議会解散という重い決断をしたので、自らも職を辞することにした」とのコメントを出した。
これに対し、萩原達雄・前議長は読売新聞の取材に、「不信任決議で解散か失職かを迫られ、解散を選んだのに、そのすぐ後に自分が辞めるのは、誰が考えてもおかしい。無責任極まりない」と語った。
村役場では19日午前、緊急の課長会議が開かれ、伊藤俊幸副村長が「動揺せずに事務、事業にあたってほしい」と求めた。ただ、村選管は今月2日の会議で、8月30日に村議選を行うと決めていただけに、急きょ4月に実施されることになった村長・村議の同日選に困惑。担当者は「あと1か月で準備しなければならない」と頭を抱えた。
村には17日以降、「個人的な問題なのに、なぜ議会を解散するのか」などの苦情が少なくとも200件寄せられているという。自営業の男性(56)は「辞めるつもりなら、なぜ先に議会を解散したのか。混乱を大きくさせただけだ」と憤った。
跡部村長は1996年に初当選し、2012年6月に5選を果たした。この選挙で跡部村長に投票したという会社員の男性(39)は「子育て世代への支援拡充や積極的な企業誘致を評価していただけに残念。辞職は当然だが、選んだ我々にも責任がある」と厳しい表情で語った。