社会そのほか速
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<ネットに出会う>
高校を中退し、17歳から父が経営する会社でパチンコ店の店長やビル管理などの仕事をしていました。
ところがある日、会ったことのない兄と弟がいることがわかったのです。父が突然、毛利元就の話をし、「三本の矢は折れない。兄たちを助けてやってくれ」と。
衝撃でした。会社を継ぐつもりで働いていたのに、父には最初からそのつもりはなかった。その後、経営方針を巡って父とぶつかり、会社をやめました。
「これだ」。1994年頃にインターネットを知り、そう思いました。当時は面倒だったネット接続を利用者が手軽に出来るサービスを考え、95年から始めました。その後、様々なIT系ベンチャーと仲間を増やすような形でグループになり、事業を拡大していきました。
<会社存続の危機>
2005年にはネットと金融の融合を目指し、消費者金融のオリエント信販を270億円で買収しました。ところが翌年、法で定めた上限金利以上の利息を認めない最高裁判決が出て、利息の返還請求が大量に見込まれる事態に。返還に備えるため、それまでの10倍の引当金を積まなくてはならなくなりました。
経営が苦しくなったオリエント信販には増資などで計約400億円をつぎ込みましたが、結局、500万円で売却しました。
会社は自己資本が底をつき、債務超過に陥る可能性が高まりました。倒産の危機が迫ります。
<「あきらめなさい」>
このときが人生で一番苦しかった。銀行からは融資を引き揚げると言われ、リース会社にはパソコンのリースを止められて。知り合いの投資銀行の社長からは「十中八、九つぶれる。もうあきらめなさい」と。練炭自殺する夢も見て、朝起きると汗びっしょりだった。「十数年かけて仲間と築いてきたものをすべて失うのか」と落ち込み、白髪もみるみる増えました。
会社を数百億円で売ってくれという申し出もあったが、それは断りました。責任を取る行動が大事だと考えたからです。
そんな中、ある銀行の役員が「他の銀行が引き揚げたら、うちに相談して」と言ってくれた。財務担当役員は帰りのエレベーターで男泣きです。株や不動産など自分の財産を処分して百数十億円をかき集めました。自社株を担保に個人でも30億円の借金をし、ぎりぎり債務超過は避けられました。
社の幹部は誰も逃げなかった。社員も危機を経て成長しました。幹部を支えなければという気になってくれたのです。
どん底を乗り越え、会社は成長を続けています。今年、インターネットの住所に当たるドメイン名で「.tokyo」の受け付けを始めました。東京五輪・パラリンピック開催の2020年に向け、東京のブランド力向上につなげられたらと思っています。(聞き手 鹿川庸一郎)
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《メモ》 GMOはグローバル・メディア・オンラインの略。1991年の創業時は電話回線で複数が会話できるサービスを提供していた。2013年12月期の連結売上高は937億円。グループ連結企業は約80社で、従業員は計約4000人。インターネットの住所を示すドメインの登録や、サーバー、セキュリティー対策などネットの基盤事業に強みを持つ。ネット証券事業では、外国為替証拠金取引(FX)の取扱高が世界一。