社会そのほか速
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東京都中央区役所の職員だった父と専業主婦の母の共通の趣味が園芸でした。
高校生の頃まで過ごした練馬区の家は、狭い借家だったのですが、ツツジやアジサイ、ボタンなど四季折々の花が咲く庭があり、私も両親の影響で物心ついた頃から、花壇に種をまいたり、球根を植えたりする園芸少年でした。
練馬区立光和小学校1年生の時、庭先でバラが咲いたのを見つけました。「お母さん、バラの花が咲いた」と伝えると、母はその花をチョキンと切り新聞紙にクルクルクルって巻いて「学校の先生に渡しなさい」と言うんです。先生は一輪挿しに挿して教壇に飾ってくれました。そしたら、まだ朝で眠たげにしていた級友たちの目が輝き、ため息をついて、美しさに見とれたような表情になったんです。美しさが人を動かすということに気づかされました。
変わった子どもだったと思いますよ。サッカーや野球に興味はなく、男の子が好きそうなテレビアニメも見ませんでした。それより、花壇の世話や料理、楽器のお稽古など、やりたいことが山のようにあって、スケジュールがいっぱいでした。
だから、友達が放課後、野球をしようと家に誘いに来ても居留守を使うんです。興味がないことをする時間がもったいなかった。人は人、自分は自分なんだという意識がすごくありました。そんな私を見て、母は「好きなことをおやんなさい」と応援してくれました。
生け花を始めて、昨年で30周年を迎えました。好きなことを仕事にできるのはとても幸せなことです。好きなものを、納得いくよう作り続ける。その原体験が子ども時代の庭にあります。(聞き手・山田睦子)
(2014年6月26日付読売新聞朝刊掲載)