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◇根来寺所蔵 1956年指定満願寺と同図柄
国の文化審議会が13日に文部科学相に行った重要文化財(重文)の答申で、県内からは根来寺(岩出市)所有の掛け軸「絹本(けんぽん)著色(ちゃくしょく)鳥羽天皇像」が選ばれた。鳥羽天皇は平安時代後期の天皇。高野山を離れ、その後、根来寺を開いた高僧・覚鑁(かくばん)の有力支援者として知られる。和歌山市の満願寺にも、ほぼ同じ図柄の鳥羽天皇像の掛け軸(1956年に重文指定)が伝わり、これでゆかりの2幅(ふく)(本)がともに重文になることとなった。(今村真樹)
根来寺の鳥羽天皇像は縦約1・7メートル、横約1・3メートル。強装束(こわしょうぞく)と冠を身に着けた正装で畳の上に座る姿を描く。蛍光エックス線分析などの結果、南北朝時代に描かれたと判明した。
一方、ほぼ同じ図柄の満願寺の天皇像は鎌倉時代終盤の作で、根来寺のものよりやや早い時期に描かれたと考えられている。
二つの肖像画は装束の柄までほぼ同一だが、満願寺の像に比べ、根来寺の像は色彩が鮮やかで輪郭もはっきりしている。以前は江戸時代の作とみられており、重文指定が遅れる形となった。
文化庁美術学芸課は「着物の柄の描き方は根来寺像の方が丁寧だ。二つとも共通の手本を基に模写されたものではないか」とみる。ただし「手本」とみられる鳥羽天皇像はまだ見つかっていない。
鳥羽天皇は覚鑁が高野山にいた頃から荘園を寄進するなど、深い交友関係にあった。肖像画は寺で代々、大切に伝承してきたが、どのような経緯で入手したものかは分かっていない。
根来寺は安土桃山時代の1585年、豊臣秀吉の紀州攻めによって焼き打ちされた。大半の堂塔や所蔵品は焼失したが、肖像画は難を免れた。同寺の中村元信寺務長は「焼失前の寺の歴史を現代に伝える大切な寺宝。重文指定は本当に喜ばしい」と話す。
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鳥羽天皇像以外にも、個人蔵の「過所船旗(かしょせんき) 天正九年三月廿八(にじゅうはち)日」1幅も重文に答申された。安土桃山時代の一時期、瀬戸内海の制海権を握っていた海賊衆の統領・村上武吉が1581年に海上通行証として発行した旗が掛け軸になっている。