社会そのほか速
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発言小町に、「華やかな恋愛を捨てられません」という投稿が寄せられました。
トピ主さんは26歳の女性。これまでずっとイケメンや高学歴の男性との“華やかな恋愛”をしてきたそうで、周囲の皆からも羨ましがられていたとか。しかし今の彼は、トピ主さんいわく「ちょっとサエない男性」。真面目でのんびりトピ主さんを支えてくれるものの、友人らに「羨ましい」と言われないのは初めてで、”華やかな男性”からの告白を断ったときも、後で「もったいないことをしたのでは」と思ってしまったそうです。今の彼との結婚を望んではいますが、「こんな気持ちに折り合いが付けられるのでしょうか」と問いかけています。
■他人という「鏡」に映る自分の姿に葛藤?
自分の彼が周囲から羨ましがられない……それが不満で、彼を愛しているのに、心のどこかで「こんなはずじゃない」と思ってしまう。この感情は、「自己概念」と「鏡映的自己」という考え方から説明できるかと思います。
私たちには普段、「自分とはこのような人間である」と捉えている概念(=「自己概念」)があります。程度の違いはあれ、この概念には、他人の意見や評価、態度などを取り入れて形成されている部分があります。つまり、「周りがこう言うから、私はこういう人間なのだろう」「多くの人がこう評価するから、私はこういった存在のはずだ」などと考え、自分を捉えているということですね。
このような他者の言動を手がかりとして、推測で作り上げられた自己認識を「鏡映的自己」と呼びます。トピ主さんはおそらく、今までの人生で、「私は華やかな男性と付き合うのがふさわしい人間だ」「友達に羨ましがられたり、両親も好んだりするハイスペックな男性と付き合うべきなのだ」といった自己概念を、鏡映的自己を取り入れながら培ってきたのでしょう。
でも今回、トピ主さんは自ら、周囲がふさわしいと思わないような男性を選んだ。それでもこの彼と結婚したいし、彼を全面的に信じているとのこと。
もしかしたらトピ主さんは今回初めて、周りの目を考えず、心の素直な欲求で男性を求めたのではないでしょうか。今までの恋人にはすべて自ら別れを告げてきたとのことですが、彼らはただ「自分にふさわしい」と思っていただけで、特に深い愛情は感じていなかったのかもしれません。
今までずっと認識してきた「あるべき自分の姿」と、「自分の本心」が食い違っているために、葛藤がある。こうしたときに、「周りから見た自分」を優先させるのか、自分の本心を優先させるのかは、トピ主さん次第です。「私は周囲に賞賛されるような相手を選ばないと、いずれ不満が爆発するかも」と思うならば、前者を選択したほうが賢明かもしれません。逆に「私にとって彼はとても素晴らしくて、この彼と生きていくのが自分の幸せだ」と思うならば、迷わず後者にすべきだと思います。長い人生、どちらの選択をしたほうが幸せになれるのか、じっくり考えてみてください。
■彼の価値に気づき、自分の選択に納得するかどうか
アメリカの心理学者バートラム・フォアは、人間が恋人に求める“心理的報酬”について、「地位」「愛情」「奉仕」「物品」「お金」「情報」という6つの要素を定義しました。後に具体的ではない要素として「身体的魅力」や「相手からの自由度」もプラスしています。
トピ主さんにとって今の彼は、「愛情」や「奉仕」をくれる人なのでしょう。投稿には、「私を支えてくれる」という記述もあります。一方で、「地位」「お金」「身体的魅力」といった点では不満がある様子。それらについては、過去の恋人たちのほうが満たしてくれていたようです。
さて、投稿の最後でトピ主さんは、「今の彼と結婚したいが、この気持ちにはいつか折り合いがつくでしょうか?」と問いかけています。ただ放っておくだけでは、私は折り合いはつかないのではないかと思います。こうした悩みは、結局自分が折り合いをつけるかどうか、つまり自分の選ぶ人生に納得しよう、満足しようと思うかどうかではないでしょうか。「満足」という感情は、他人から与えられるものではなく、「今自分に与えられている幸せで、十分だ」と自分が思えるかどうかにかかっています。
今の彼は、「結婚したい」「こういう人が子供の父親になってくれたらいい」と初めて思えた相手とのこと。今までの恋人たちでは満たせなかった“何か”を満たしてくれる人であると考えることもできます。容姿や地位に匹敵する“別の価値”を与えてくれる男性だということですね。
それを自覚するためには、今の彼との関係で初めて感じた喜びや幸せについて、具体的に書き出してみるのも有効です。「こういうとき、彼はこういう態度をしてくれたのがとてもうれしかった」などなど。イケメンだとか優秀だとか、目に見えてわかりやすい価値ではなく、自分は彼にどんなものを与えてもらっているのか。それに気づくことは、選択の助けになると思います。
■周囲は、トピ主さんの幸せに責任を持ってくれるわけではない
その後の投稿で、トピ主さんは「自分に自信があるし、自分の人生に不満はない。もっと向上したい欲はある」「私の向上心の高さが、向上心の高い男性に好まれるのではと思う」「男性を支えたい欲求も強く、時間の許す限り手助けする」と自己分析しています。
これらの記述からは、とても頑張り屋で、完璧主義の女性像が透けて見えます。しかし、こうしたタイプの女性は、ともすると「頑張らない自分には価値がない」と、無意識に自分を追い込みがちでもあります。男性を必要以上にサポートしようとするのも、本当は無条件の愛情を得たいがゆえの裏返しの表現であるケースも多いです。
トピ主さんは夢だった仕事に就いているし、向上心もいっぱい。人生に不満はなく、自分にも自信があるとのこと。でも、本当に自分を信じられていれば、周りが何と言っても、「私は彼が大好きだから、いいの」と堂々と言えるような気もします。トピ主さん自身がそういう態度でいれば、「彼はあなたを心から満たしてくれる、いい男性なのね」と彼を好意的に見る人もいることでしょう。両親や親友だって、最初は反対したとしても、トピ主さんが心から満ち足りて幸せに暮らしていれば、いつか「あなたの選択に間違いはなかった」と言ってくれるかもしれません。
人間の欲求は際限がなく、交際相手に“ないものねだり”をしてしまう瞬間くらいは誰にでもあると思います。しかし、「自分だって、そんな大した人間なのだろうか?」と思い直せば、大抵は少し謙虚になれるもの。どんな男性を選んだとしても、いつもそばにいて自分に愛情を注いでくれるならば、それが当たり前でないことに時々は気づき、感謝することが、長く一緒にいるためには欠かせない謙虚な姿勢なのではないかなと思います。
それに何より、周囲はあれこれ言ってくるかもしれませんが、彼ら・彼女らはトピ主さんの幸せに責任を持ってくれるわけではありません。「年に数回、旦那(彼氏)自慢できること」と、「毎日幸せだと感じられること」と、どちらが大切なのか――。どちらを選んだとしても、自分の選択について、「これでいいんだ」と納得できるようになるといいですね。ぜひいろいろな視点から考えてみてください。
(外山ゆひら)