社会そのほか速
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2015年3月22日、中国メディアの参考消息網は、日本のアナリストが、日本は真珠湾の過ちを再び犯すことはないと発言したことについて伝えた。
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参考消息網は米国メディアの記事を引用し、「原田防衛大臣政務官は、東アジアの安全保障環境は厳しい状況で、尖閣諸島問題による日中間の緊張関係は危険なレベルにまで達していると述べた」と伝えた。しかし日本のアナリストは、「中国の威嚇的な手段に対して、日本の戦略は『先に剣をとる』ことはせず、真珠湾の過ちを再び犯すことはないと述べた」とも伝えた。
このニュースが中国版ツイッター・微博で伝えられると、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
「これぞまさに奇襲する前触れじゃないのか?」
「宣戦布告をしないで攻撃することは貴国の伝統ですよね」
「これはわれわれを惑わすためにわざと言っているに違いない」
「日本は真珠湾攻撃をする前もこうだったよね。相手を油断させておいて奇襲したんだ」
「言うこととやることが違うからな。鬼子(日本人の蔑称)の言うことを信じられるか?」
「真珠湾攻撃は戦略上の過ちだと思っているのだな。やはり日本の右翼はアジアから消し去らないとダメだ」
「でも日本は盧溝橋事件と満州事変が過ちだったとは言わないんだな」
「俺たちとしては日本が先に手を出してほしい。そうでないと日本を接収する口実ができない」
「日本は無恥で残忍な民族。中国はもはや昔の中国とは違う。日本が開戦しようものなら、極めて大きな代償を払うことになるだろう」(翻訳・編集/山中)
ミクロネシアの島国パラオで21日、海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に中国の国旗が結び付けられていることが分かった。日本メディアの報道として、中国メディア・中国網が22日伝えた。
石廊は太平洋戦争中の1944年3月30日に米軍の攻撃を受けて沈没。船体は今もパラオ・コロール島の近海、水深約40メートルの海底に沈んでおり、現地は人気のダイビングスポットとなっている。
日本メディアは、現場の状況から中国国旗が結び付けられたのはここ1週間ほどとみられ、中国人ダイバーによるものである可能性があると伝えた。
このニュースが伝わると中国のインターネット上でも大きな話題となり、ユーザーたちが続々とコメントした。その一部を拾ってみる。
「ここは中国の領土である、イヌと日本人は入るべからず」
「美しい!」
「面白いね。神的作品。天の翼。神様がやったことだ」
「素晴らしい根性だ!」
「愛国的な観光客だね」
「日本に勝てないからって、こんな小細工を」
「感情的な民族主義者」
「民度の低い観光客はどこでも嫌われる」
「どこでも国旗掲げるのって、知能指数に問題が・・・」
「チョモランマの頂上に国旗掲げるならすごいけどさ」
「釣魚島(日本語名称:尖閣諸島)を中国国旗でいっぱいにしろ! 沈没船に掲げて意味あるか?」
「これやった人、抗日ドラマの見すぎで変態的になっちゃってる」
「これ、日本人の仕業だろ! それを中国人のせいに」
「日本人のヤラセ」
「アメリカ人か日本人がやったことは明白」
「中国人がこんなことするなんてありえない」
「中国人がそんな恥知らずなことをするはずがない!」
「旅行に国旗持って行かないだろ? それにこんな難しい作業は普通の観光客にはムリだ」
(編集翻訳 恩田有紀)
2015年3月20日、韓国・聯合ニュースは、宇宙線「ミュー粒子」を使って福島第1原発の1号機原子炉内部を調査した結果、核燃料がほとんど溶けている状態であることが確認されたと東京電力が19日に明かしたことを伝えた。
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東京電力は2011年3月に起きた東日本大震災で福島第1原発の事故が発生した当時、データ解析などを通して1号機内部の核燃料がほとんど融解して格納容器に流れ落ちたと推測していた。今回の調査結果でこの推測が裏づけられた。
これについて、韓国のネットユーザーは次のような反応を示している。
「大量の放射線物質はすでに海に拡がり、人の口に入っている」
「もはや福島だけの問題ではなく、太平洋が汚染されている」
「太平洋で獲れたものを食べてはいけない」
「2020年までは海に放出し続けるつもりらしい」
「核燃料が全部溶け出して、全世界の海に拡がったという話か」
「深刻な汚染に対する周辺国への謝罪がない」
「福島だけではなく、日本全土が汚染地帯だと日本の教授が言っていた」
「チェルノブイリは封鎖できたが、福島は他の国が措置を手伝うと言っても受け入れず、封鎖もできないままだ」
「日本国民の脱出ラッシュが起きたら、どうなるんだ?」
「超大型災害に対する人間の対処がいかに未熟かということを示している」(翻訳・編集/山田)
【シンガポール時事】30年余りにわたってシンガポール首相を務め、小さな都市国家を東南アジア随一の先進国に育て上げたリー・クアンユー氏が23日未明、入院先の病院で死去した。91歳だった。
首相府は「シンガポール初代首相リー・クアンユー氏の逝去を深い悲しみをもってお伝えする。リー氏は午前3時18分(日本時間同4時18分)、シンガポール総合病院で安らかに亡くなった」と発表した。
2月5日に重い肺炎で入院。集中治療室(ICU)で人工呼吸器を装着し、抗生物質の投与を受けていたが、最近になって危篤状態に陥っていた。
日米欧からの外資導入を推進。マレー半島先端の小島にすぎなかったシンガポールを「世界の貿易港」「アジアの金融センター」に変貌させて繁栄の礎を築き、「シンガポール建国の父」と呼ばれた。
1923年、当時の英植民地シンガポールで華人(中国系)家庭に生まれた。第2次大戦中、シンガポールを占領した日本軍の報道部に約1年勤務。終戦とともに渡英し、ケンブリッジ大(法学)を首席で卒業した。帰郷後は弁護士として活動。54年に留学経験者の仲間を中核として、後に与党となる人民行動党(PAP)を結党し、書記長に選ばれた。
英連邦シンガポール自治州の総選挙で59年にPAPが勝利すると、35歳で自治州首相に。63年、シンガポールのマレーシア連邦加入に伴い州政府首相となり、65年8月、マレーシアからの分離・独立で成立したシンガポール共和国の初代首相に就任。90年11月にゴー・チョクトン第1副首相(当時)に首相の座を禅譲するまで、長期間にわたり近代的な都市国家建設と工業化を進めた。
【バンコク岩佐淳士】シンガポール「建国の父」と呼ばれたリー・クアンユー元首相が23日、死去した。91歳だった。2月5日から重い肺炎で入院していた。首相府が発表した。1965年にマレーシアから分離独立後、初代首相を務め、資源小国のシンガポールを東南アジア随一の経済先進国に発展させた。70年代末から「日本に学べ」運動を展開し企業経営方法などの吸収にも努めた。90年の首相辞任後も影響力を保持。事実上の一党独裁体制による国家運営の手法は「開発独裁」の典型ともされた。
2004年に第3代首相に就任したリー・シェンロン氏は長男。「世襲」には批判の声もあった。