社会そのほか速
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仙台市で14日に開幕した国連防災世界会議で、被災地の子供たちが参加した公開フォーラムが開かれ、東京電力福島第1原発事故で福島県いわき市で避難生活をする楢葉町の中学3年、三瓶諒(さんぺいまこと)さん(15)が故郷の現状を訴えた。全町避難で荒れ果てた故郷の映像を紹介し、「子供が町づくりに参画する機会を増やすため、その実現に向け行動したい」と力強く語った。
「楢葉町は今でも帰ることができず、15歳未満は(一時帰宅でも)入れない。15歳になった今、町の現状を伝えます」。今年1月に誕生日を迎えた三瓶さんは会場の市民ら約200人を前にこう語りかけ、今月1日に自ら撮影した映像を流した。住民の帰還に向けて新築されたが、人けのない中学校や、机もベッドも処分され、がらんどうになった自分の部屋、避難所に連れて行けなかった猫が横たわって死んでいた跡の残る居間−−。「(庭先の)畑は線量が高くて入れません」。自らナレーションを入れた。
原発事故が起きたのは、小学5年の時。いわき市の避難所に1週間暮らし、その後2人暮らしの母親と茨城県に移り、2年間を過ごした。中学2年の進級時、地元の中学の仮設校舎があるいわき市に戻った。ところが、長引く避難生活に先生も生徒も疲れ切り、「教室の雰囲気をよくしよう」と提案しても声は届かず、3年の2学期から約3カ月、不登校になった。「子供の意見も聞いてほしい」。町の方針が、子供に知らされないまま決められていくことにも疑問を抱いたという。
立ち直れたのは昨年11月、小学生の時に迫力に圧倒された「ならは天神太鼓」が復活し、練習に加わり始めてから。「太鼓を世界に発信するため海外留学したい」と思うようになり、国際教育が充実しているとして、4月に楢葉の隣町の広野町に開校する県立の中高一貫校「ふたば未来学園」への進学を決めた。13日に中学の卒業式を終え、「進学後も町づくりや伝統芸能活動に参加し、町の復興と自分の将来について考えたい」と発表を締めくくった三瓶さん。「いつ戻れるか分からないが、のどかで落ち着く楢葉の景色を取り戻したい」と決意を語った。【百武信幸】