社会そのほか速
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川崎市の中学一年生・上村遼太君が殺害され、遺体が多摩川河川敷に放置された事件。ニュースで被害者の笑顔の写真が出るたびに、胸潰れる思いがする。容疑者として、18歳と17歳の少年3人が神奈川県警に逮捕されたが、真相解明は緒に就いたばかり。現時点では、一切の予断を排除しておきたいが、それでも明らかなことがある。それは、同級生など、上村君を知る少なからぬ子ども達が、彼の困難な状況を知っていたことだ。
●見過ごされた数々のSOS
例えば、上村君と同じ小学校を卒業し、別の中学に進んだという女の子は、今年の正月、公園で上村君が年上の男のグループにイヤそうについていくのを見た。後日、コンビニエンスストアで会った時には、目の周りに真っ黒なアザが出来ていた。「どうしたの?」と聞くと、上村君は「ぶつけた」と答えた。しかし、どう見てもぶつけてできるようなアザではなかった、という。
女の子は、上村君が学校に行っていないことを知っていたので、それを話題にすると、彼は「学校には行きたい」と答えた。しかし、「行きたいなら行けば?」と水を向けても、「行きたいけど、行かない」という返事だった、とのこと。上村君の不登校は、女の子が通っている中学でも、同じ小学校を卒業したクラスメイトの間で、何度か話が出た、という。
上村君は、友だちには年上のグループから暴力を受けていることを打ち明け、「殺されるかもしれない」と漏らした、とも報じられている。少なくとも同じ学年の子どもたちの間では、上村君の受難は、相当に広まっていた。
にもかかわらず、学校の先生など大人たちに、その切迫した状況について、情報がもたらされていなかったようである。上村君の担任の教師は、1月の新学期が始まって以降、34回にわたって電話や家庭訪問をしていたが、本人と接触できたのは1回だけ。情報がもたらされていれば、もっと違った対応がなされていたに違いない。
上村君自身が大人に相談していなかったのは、いじめの被害を受けている子どもと同じで、大人が介入することで事態が悪化することを恐れたのだろう。暴力の原因となっている者に大人たちがアプローチすれば、報復がなされる可能性があるからだ。親を心配させたくないという優しさもあって、苦痛や不安を抱え込んでしまったに違いない。
他の子どもたちも、そういう上村君の懸念が分かるから、積極的に大人に伝えようとしない。面倒なことに巻き込まれるのが怖い、と思った子もいるかもしれない。そもそも、まさかこんな事件にまで発展するとは思わなかった、だから職員室にわざわざ報告しにいくという気にならなかった、というのが、多くの子どもの本音ではないだろうか。●取り戻すべき“ムダ”・必要とされる検証
もし、子どもたちの方からわざわざ職員室に報告に行かなくても、情報が先生の耳に入るような場があったらどうだっただろうか。
最近の中学では、先生と生徒のコミュニケーションの機会が激減している、と聞く。中学校の教師になって30年近いある教師によると、かつては放課後に、教室で生徒たちと他愛もないおしゃべりをよくした。皆で裏山に登ったり、夏の夜に校舎内で肝試しをやったりして、一緒に遊ぶこともあった。ところが今は、教師は会議があり、そのための資料作りや保護者対応などで忙しく、生徒たちは部活や塾でやはり忙しい。管理も厳しくなり、夜の肝試しはもちろんのこと、放課後に生徒が教室に許可なく残っていることも許されなくなり、先生は、清掃が済むと、「用がない者は早く帰れ」と言わなければならない。
先生と生徒の間で、日常的に他愛もないおしゃべりができる関係があれば、子ども達の間で話題になっているけれど、わざわざ職員室まで出向いて報告する気にはなれない、という事柄が、ふと話に出ることがあるだろう。そして、そういう「ふと出る話」が、子ども達の現状を把握するうえで、大事なのではないだろうか。
いじめで子どもが自殺するなどのケースが問題となり、行政の様々な機関が、相談窓口を作った。無料電話相談の番号も、いくつも子どもたちに伝えられている。それが生きる場合もあるだろうが、子どもたちから「わざわざ」連絡をしなければ機能しない窓口ばかりが増えて、「ふと出る話」がもたらされる日常のコミュニケーションが軽んじられているような気がする。
さらに、教師の多忙と親たちのプライバシー意識の高まりもあって、年度初めの家庭訪問をやめる学校が増えている。先生が、子どもたちの家庭環境を知り、親との信頼関係を作るよい機会だったと思うのだが……。
そのうえ、先生と生徒のコミュニケーションだけでなく、先生同士が雑談をする機会も激減している。かつては、冬場にはストーブの周りで先生同士が語らい、その中で先輩の経験談が若手に伝えられたり、わざわざ正式に報告をするほどでもない、気がかりな事柄を若手が先輩に相談したりできた。そうした雑談が、現在の職員室ではほとんどない、という。
学校全体に、遊び(=ゆとり)がなくなっている。こういう状態では、不測の事態が起きた時に(あるいは、そういう事態を防ぐために)、学校側が適切に対処するのは難しいのではないか。
生徒と先生が日常的に他愛もないおしゃべりに興じる。生徒同士が教室でダラダラおしゃべりしているのも大目にみる。先生同士も、雑談を楽しめる。そんなムダな時間、空間の遊びを学校に取り戻すことが必要だと思う。
さらに、今回の事件全体を多角的に見直し、いつの時点で、どのようにすれば、このような最悪の事態を回避できたのか、検証する必要もある。そのためにも、警察は関係する少年たちに対する取り調べや事情聴取は慎重に行ってほしい。特に、直接事件に関与した者たちは、家庭裁判所から検察庁に逆送致され、大人と同じ刑事裁判を受ける可能性が高い。殺人事件なので、裁判員裁判となる。その時になって重大な事実に争いが起きたりしないよう、また必要に応じて、供述態度についても判断の材料に使えるよう、取り調べは警察段階からすべて録音録画をすべきだ。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)