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特別な1勝――。東日本大震災から4年を迎えた11日、楽天は兵庫県姫路市で西武と練習試合を行い、3―0で勝利した。地震発生時刻の午後2時46分には試合を中断し、1分間の黙とうで犠牲者の冥福を祈った。震災後の「3・11」に白星を手にしたのは初めて。大久保博元監督(48)は今後も全力プレーで被災地を勇気づけることを約束し、侍ジャパンの一員として欧州代表戦に出場した嶋基宏捕手(30)も被災者へのメッセージの中で優勝を誓った。
【写真】震災から4年…。思いを語る大久保監督
あの日の被災地を思い出すかのように時折、雪が舞った。姫路球場は半旗が掲げられていた。地震発生時、同じ兵庫県内の明石でオープン戦を戦っていた楽天ナイン。震災後、3月11日に試合を行うのは3年ぶりだが、前回は敗れただけに、大久保監督はこの勝利の意味を口にした。
「絶対勝つぞとみんなが思っている中、3・11という日に我々が目指すバッテリー中心の守り勝つ野球ができた。公式戦の1勝より重い」
選手は喪章を腕につけてプレーした。練習試合のため観客はいなかったが、先発・戸村は走者を出しながらも粘り強く投げた。武藤、藤江も奮闘した。3投手による完封リレーでリードを守り抜いた。
試合前、大久保監督は全選手を集めた。「震災で亡くなった人たちにとって、どうしても生きたかった一日。何となく暮らしていい日は一日もない。そのためには全力プレーが大事」と語り掛けた。
2011年3月11日、午後2時46分。当時、指揮官は都内の自宅にいた。真っ先に連絡をしたのは「母ちゃん」。茨城県大洗町の実家に住む母・友美子さん(78)だった。だが、固定電話も携帯電話も通じない。4日後、弟から無事であると伝え聞いた。大洗町は太平洋岸に位置する。実家は高台にあるため、津波の被害を受けなかったが、浸水した地域もあった。漁業を営む知り合いも多く「震災で漁師を辞めた人もいる」という。
翌12年、楽天にコーチとして入団。2軍監督時代には遠征で被災地の球場に赴き、言葉を詰まらせたこともある。「外野で球拾いをする少年に話を聞くと、10人中、6人が身内を亡くし、8人が家を流された。涙で声を掛けられなかった」。苦境の中、懸命にあしたに向かって生きる人たちの力強さを肌で感じた。
だからこそ、野球人としてできることは、全力プレー。「試合を見に来てくれた人たちに3時間だけでも、嫌なことを忘れてほしい」。選手たちも思いは同じだ。守備に就く時も戻る時も全力疾走。届きそうにない打球にも全力で跳びついた。
あの忌まわしい大震災から4年。昨季は最下位に沈み、被災地に明るい話題を届けられなかった。震災を風化させてはいけない。楽天ナインはその使命を持って戦う。
▽楽天の12年3月11日の試合 倉敷マスカットスタジアムで日本ハムと対戦。4回に1点を先制するも、打線はその1点のみ。同点の8回、3番手で登板した小山伸が2点を勝ち越され、1―3で敗れた。試合中に黙とうが行われ、エースの田中は「去年、起きたことを考えて怖くて鳥肌が立った」と沈痛な面持ち。星野監督は「去年は思い出したくもないぐらいの大きなショックを受けた。そういう意味ではいい試合をしたかった。まだまだ分かってないチームということ」と話した。