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<大震災4年>亡父のギターとともに音大へ 宮城の18歳

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<大震災4年>亡父のギターとともに音大へ 宮城の18歳

<大震災4年>亡父のギターとともに音大へ 宮城の18歳

「1回くらい、私の歌を聴いてほしかったな」。宮城県富谷町の県立泉高校3年、久我理亜(りあ)さん(18)は今春、東日本大震災で亡くなった父正春さん(当時44歳)の形見のギターを手に上京し、音大に進学する。津波は父を奪ったけれど、父は音楽という夢を残してくれた。だから、前を向いて歌い続ける。

【石巻・大川小で弟、妹を亡くした18歳の今】

 地震が起きた時、中学校の体育館でバレーボールの部活中だった。約4万7000人が暮らしていた富谷町は震度6弱の揺れに襲われたが、内陸のため津波は来ず、町内にいて亡くなった人はいなかった。「全然大丈夫」。そう思っていた。

 数日後、正春さんが勤める建設会社の社員が訪ねてきた。「ダメでした」。正春さんは仕事で同県名取市閖上(ゆりあげ)にいた。そこには高さ8・4メートルの津波が押し寄せ、911人が犠牲となった。

 久我さんが知る父は本を読んでばかりいた。若いころアマチュアバンドでベースを担当していたというが、ギターを弾くのは時々。小学生の時、プロのバンドのコンサートに連れて行ってくれて、音楽が好きになるきっかけをくれた。日曜は朝4時に起きて一緒に釣りに行った。

 そんな父が震災でいなくなった。「周りは3人、4人家族なのに私は母と2人暮らし。みんな楽しそうなのに自分だけが違う」。学校に通うのが嫌になり、日曜日も嫌いになった。

 中3の12月、正春さんのギターを弾かせてほしいと母理恵さん(46)に泣いて頼んだ。親戚宅に預けていたギターを取り寄せ、初めて触った。理恵さんは正春さんのバンドの曲が入ったカセットテープも見つけてくれた。初めて聴いた父の演奏。「かっこいいな」。いつでも聞けるよう、携帯電話に曲を入れた。正春さんが残した本を読み、音楽を聴き、ギターを弾いている時は、悲しいことも忘れられた。

 「がく亜り」という名前で音楽活動を始め、高校1年の終わりごろからライブハウスのステージや街角に立つようになった。高校や活動を通じて知り合った友人も見に来てくれた。「自分の歌を好きだと言ってくれる人がいたことが一番うれしかった」。父がくれた音楽は、たくさんの出会いもくれた。

 春から洗足学園音楽大音楽学部(川崎市高津区)に進学し、ギターや歌を本格的に学ぶ。「お父さんにギターを教えてもらいたかったけど、今はこんなに弾けるようになったって自慢してやりたいな」。もっとうまくなってプロになるのが目標だ。【金森崇之】

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