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無数の焼夷(しょうい)弾による猛火の夜が明けると、焦土と化した下町が姿を現した。路上には焼死体が折り重なり、川面には女性や子の遺体が浮かぶ。約10万もの犠牲者は、身元確認も不十分なまま、公園や寺院に「仮埋葬」された。東京大空襲から、10日で70年――。
【写真】東京空襲犠牲者遺族会会長の星野弘さん。空襲で多くの人が亡くなった場所に立つスカイツリーには、これまで一度も上れなかったという=東京都墨田区、小玉重隆撮影
■「忘れたら死者うかばれない」
東京スカイツリー(東京都墨田区押上1丁目)の展望台。東京空襲犠牲者遺族会の星野弘会長(84)は9日、350メートル下の北十間(きたじゅっけん)川に視線をおとした。70年前、遺体を収容した場所だ。
「あの川です。20歳ぐらいの母親の髪を、1歳ほどの女の子が両手でつかんで離さない。目を開け、まるで生きているようだった」
東京大空襲では一晩で約10万人が亡くなったとされる。都は空襲による死者数を約2万人と予想。一方、都の火葬場の能力は1日500体に過ぎず、棺(ひつぎ)は1万人分しかなかった。身元を確かめた上での火葬は不可能で、埋葬場所も足りず、公園や寺院が仮の埋葬地となった。軍や警察に加え、受刑者や星野さんのような少年もかり出された。