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[東京 18日 ロイター] – 「異次元」の異名をとる量的・質的金融緩和(QQE)が始まって、間もなく2年が経過する。日銀が前例のない大胆な政策に着手したのは、黒田東彦氏が総裁に就任した2013年3月20日。この間、市場心理は劇的に変化し、15年ぶりの株高を演出、最高益企業も続出している。
だが、目標の物価2%は未達だ。ロケットような推進力を目指す黒田日銀はどこへ向かうのか、2年間の足取りから今後の軌道を探った。
<緒戦の大勝利と突風>
「2年でマネタリーベースを2倍にして、物価を2%に引き上げる」という「2年・2倍・2%」のボードを黒田総裁が使って、QQEを発進させたのが13年4月4日。そこから円安が加速し、日経平均は「棒上げ」状態で上昇した。
1週間後の4月11日、元日銀審議委員で安倍晋三首相の経済ブレーンの1人である中原伸之氏は、QQEで大きく価格変動する市場を見据え、爆弾低気圧ならぬ「爆弾高気圧」のニックネームを考案する。マーケットが想定外に変動し、QQEが内外の市場関係者から注目されている様子は、まさに「爆弾」の形容詞がピッタリと当てはまった。
この激変の中核に存在したのは、市場心理の変化だった。黒田総裁と同じ財務官経験者である渡辺博史・国際協力銀行(JBIC)総裁は「センチメントを変えたことは評価されるべき」と称賛する。
だが、1回目の「突風」が海外発で吹いた。13年5月22日、バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長(当時)が「今後数回の会合で債券購入のペースを減速させる決定をすることもあり得る」と述べ、円安と株高のトレンドが乱れた。
翌23日以降、日経平均.N225は一転して下げ基調となり、一時高値からの下げ幅は1000円を超えた。 続く…
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