社会そのほか速
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部室でギターの練習しているといつも、「俺も混ぜてよ」と、肩をポンと叩いてくる男子生徒がいた。「俺、初心者なんだ。きみ、巧いの? 教えてよ」なんて言って。
そんな、人に教えられるレベルじゃないのに。けれど彼の方がよっぽど下手で、なかなかFコードが弾けなかった。ようやくマトモに音が出せるようになるまで、3ヶ月かかった。
彼はよく言っていた。「在学中にメジャーデビューしてやる」と。それを私は、「なら急がないと、退学までもう秒読みらしいわよ」とからかった。「まじで!? じゃあ時を止めてやる!」なんてノリのいい返事をしながら、彼は一発ギャグをやった。それがいつもサムくて本当に時が止まったようになるから、いってみれば有言実行なのだった。
いつも部活で一緒にいた同級生の男子。彼をカズヤと認識したのは、いつごろだったろうか。人の顔どころか名前すらロクに覚えられない私が、彼をイチ同級生ではなく、個人として見るようになったのは。
おそらく、共に部活へ打ち込んでいたころではなかった。私が部活へ行かなくなり、しばらくして。いっしょのクラスで受けていたスペイン語の授業が終わった直後だ。
ほかの生徒たちがほとんど教室から出ていった後。自分も、教科書やらノートやら西和辞典やら和西辞典やら、仰々しい量の荷物をなんとか鞄に詰め終え、席を立とうとしたときだった。
「ヤマナシさんさぁ、もう部活こないの?」
声をかけられた瞬間、やっぱり目の前の男子が誰だかはわからなかった。部活と言ったから、あぁきっと軽音部のコだろうな、とは思った。「行かないよ。悪いけど」
“悪いけど”。確かに自分でそう言った。部活にこないか問われて、咎められていると思うのは当然だろう。だが相手には、まったくそんなつもりないようだった。
「そっかー、やったー!」
“やったー”? なに喜んでるの、この人。
「じゃあ、俺とヤマナシさんが付き合っても、別に部内恋愛にならないってことだよね」
一瞬、なにを言われているのかわからなかった。わかるまでにかかった時間は3秒くらいだろうか。その3秒間、世界は確実に静止していた。教室にはもう私たち以外の誰もいなかったから、錯覚したのかもしれない。なにもかもが息を潜めているような気がした。この世のすべてがストップするのに、3秒という時間は決して短くない。
こんなカタチの愛の告白って、あるのだろうか。伊勢エビの活き作りを見て、決死の覚悟で私に告白した2年の先輩が、完全にかすむような告白。いや、だからこそだろうか。
「まぁ、そうだね」
“そうだね”。確かに自分でそう言った。それは、イコール、彼の告白を承諾したという意味にも取れる。自分ではそのつもりがなくても、相手にそう思いこまれたら、あとは勢いでたたみこまれるだけだ。
「やったー! じゃあさ、きょう授業終わったら、デートしよ。部室棟の前で待ち合わせしてさ、ライヴ観に行こう。チケット2枚あるから。時間、あるだろ」
「あ、あるけど」
無い、という選択肢はなかった。用意する間もなかった。彼が勢いづいた瞬間、今度は世界が加速し出した。彼という人間は、世界の緩急を自在に操る能力を持っているのか。
彼は、「オッケー」と言って、私の肩をポンと叩いた。たったそれだけで、彼との部活の風景がぜんぶよみがえってきた。顔はぜんぜん覚えていなかったけれど、その声と、手の感触と、そしてときどき香ってくる優しい匂いは、ぜんぶ覚えていた。
「じゃあきょうから、俺、タニムラカズヤと、ヤマナシイズミは、恋人同士。で、OK?」
「いや、でもあなた、“退学までもう秒読みらしいわよ”」
それは彼の勢いに圧されまいと、何とか絞り出した台詞だった。だけど例の合い言葉になってしまっていた時点で、すでに私は負けていた。
そして理解した。これまで部活で一緒だった私たちは、またこれからもカタチを変えて、一緒にいつづけるようになるんだろうな、と。「恋に落ちた」のとはまた少し違うのかもしれない。ただ、「まずは友達から」という選択肢は、用意する間もなかった。世界は、まだ加速し続けていた。
「“まじで!? じゃあ時を止めてやる!”」
オヤクソク通り、カズヤはそう言うと、一発ギャグをやった。ギャグとしてはあまりに笑えない、とんでもなく恐ろしい、寒いやつだ。彼はいきなり顔を近づけてきたかと思うと、私の頬にキスをしたのだ。
そしてその瞬間、本当に時は止まった。やはり彼という人間は、時を自在に操る能力を持っていた。
(つづく)
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作者:平原 学