社会そのほか速
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好きじゃない人に「好き」って言ったこと、ありますか?
僕は結構あります。20代後半ぐらいまでは。そのころは、自分の好みで人を選ぶのではなく、誰でもいいから好かれたい強い欲求がありました。閉鎖的な男子校で6年間を過ごして、とてもモテなかったので、反動として全人類に自分を評価してほしくてたまらなかったんでしょう。
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「どんなに嫌いな人にも好きなフリをして、それがバレずに付き合える」というのが「大人の社交能力」だと誤解してたんですね、いま振り返ると。
結構モテていたと思います。「まだ手の内を見せていない」という心の余裕があると、相手の話を他人事として聞くので、喧嘩しないで済むんです。
でも、これって、自分の人生にも他人の人生にも真剣に向き合っていない、薄い生きかたです。しかも、そういう付き合いかたをしていると、関係が何股にも重なったりします。たった1人の好きな人を求めているわけではないから。まったくひどい話で。
そして、こういう生活はほんとうにたましいに悪いです。名前は出しませんが少し前に話題になっていた某オタク評論家の方の一件、他人事とは思えず、部屋でニュースを読みながらずっと青ざめていました。
この「たましいに悪い」という感覚、短歌をやるときには結構、重要なのです。(もともと、僕の短歌の師・枡野浩一がよくつかう言葉です)
短歌というのは「自分の心にもない、上っ面だけがおもしろいこと」を書いても、不思議と人には届きにくい。真っ正直である必要もないけど、自分のたましいと照らしあわせて「まあ、自分の本心の一部だよな」と確認できたほうがいい。
そんなことを信じて短歌をつくっていたら、いつの間にか、生きかたがまっとうになりました。いや、生きかたはともかく、内省のしかたは少し変わったと思います。短歌は大して役に立つものではないですが、ときどき、そんな風にささやかに救われることがあります。
うん、岡田斗司夫さんも短歌をつくればよかったんじゃないかな。
というわけで、恋愛で傷ついた自分のたましいをきちんと見つめ、それを短歌にしてご投稿いただいているコーナーです。「たましいに良い」コーナーを目指しております。
今回は恋愛対象がちょっと変化球ぎみの投稿をご紹介。
■恋レベルに好きな女の先輩がいました
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やすこさん(東京都)
エピソード:
高校の頃。
女子校だったのですが、部活にもはや恋レベルに好きな先輩がいました。
とはいえ2人で話す機会はほとんどなく、卒業のとき渡すお礼のお手紙が最後のチャンスでした。
「本当に大好きでした!」と熱い思いをしたため、最後に「ありがとうございました?」と書いて渡しました。
数日後、ひとけのない廊下に呼び出されました。
先輩の手にはハートマークを3本線で消した私の手紙。
「先輩は友達ではないのだからこんなふざけた表現をしてはいけない。そんなあなたがこれから部を引っ張っていく立場になるなんて不安である」とものすごく怒られました。
先輩に嫌われたのもショックでしたが、部活にとって悪いことをしてしまった!と真に受け、放課後ひとりマックで泣きました。
それ以来、友人への普通のメールでも絵文字を付けるのが怖いです。
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絵文字恐怖症だと、今の世の中を生きるの、大変そうですね。LINEとかって、ノースタンプでやってると、教室の後ろに貼られたたくさんの水彩画の中にひとつだけあるお習字の「初日の出」みたいに居心地の悪さを感じます。
僕も一応、自分の文章力に自信を持っていたころは「メールには意地でも絵文字・顔文字をつけない、必要なことをぜんぶ文章で伝えてこそ文章家ってもんだろう」みたいに思っておりました。
まあもう加藤茶ばりに若者文化に日和りまくっている今では、短歌にさえ顔文字を入れるほど軟弱になりましたよ。
○オワタ\(^o^)/とお嘆きのかた 平気です ずいぶん前に終わっています(佐々木あらら『モテる死因』より)
さておき、ウキウキした恋の気持ちを一刀両断にされた痛み、お察しします。
人のいない廊下に呼び出されたら誰だって少しは「この前の手紙の返事かな。もしかして先輩も私のこと想っててくれた、という逆告白かも」みたいに期待してしまうものですよね。この「溜め」の間が、味わい深い「恋の怨霊」を生み出している、いいエピソードだと思います。
やすこさんがつくってくれた短歌はこちら。
○二年間秘めた思いは一瞬で三本線の前でぐしゃぐしゃ(やすこ)
この短歌だと、エピソードを読まないと怨念が読者に伝わらなくてもったいないですね。とはいえ、エピソードそのままだと31文字の容量からオーバーしそう。むずかしいですね。
じゃあ、かなしい結末のワンシーンをピックアップして、ちょっとだけアレンジしてみましょうか。
○ひとけのない廊下に立った君の手で破られていく手紙や恋や
みたいな。うーん、ちょっとまだ足りませんね。これに今度は風景と音響を加えてみましょう。
○夕暮れの渡り廊下で君の手が恋と手紙を破る良い音
どんなもんでしょう。短歌を引き立たせるときに、何か一つのものに焦点をしぼってみたり、色や音に注目してみたりするのは、作戦としてはアリかなと思います。
まあ、「夕暮れ」はかなりベタだし、後半もまだまだスッキリいじれそうです。やすこさんなりの「たましいに沿った」答えを探してみてください。
■兄との子どもがほしかったです
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ぐりとまらさん(東京都)
エピソード:
小さい頃から兄が好きでした。一緒にお風呂にはいったり、寝ている兄の唇にふれてみたり。恋人同士に間違えられるのが嬉しくて、よく二人でデートごっこもしました。
他の人と付き合っても、別れると「やっぱり兄が好き」と感じました。兄との子供が欲しくて、二人の間には天才児が産まれると根拠なく信じていました。
大学に受かった私は先に東京に住んでいた兄と暮らしはじめました。
ですが、1年ほど経ったころ兄に恋人ができ、しばらくして子供ができました。兄がセックスをしていたのを知ってとてもショックでした。話はするする進み、兄は学生結婚。子どももすぐ産まれ、兄の卒業式を迎えました。
兄嫁が子供を抱いて兄と3人で撮る卒業写真は、とても幸せそうでした。それを見て、これは大失恋なのだと初めて実感しました。
私は家族写真は撮らず、兄ひとりだけの写真を撮りました。
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○右の者 兄の課程を修了し しあわせになれ 新たな家庭(ぐりとまら)
常連の「ぐりとまら」さん。
このコーナーの常連であるということは怨霊まみれの恋愛ばかりしている、ということなので、ありがたい反面、とても心配してしまうのですが、まあ今回もたっぷり濃厚なエピソードで……。ありがとうございます。とっても長いお手紙をいただきましたが、ダイジェストにしてみました。
短歌も、よく読むと「課程」と「家庭」がかかってるんですね。即座にわからないところに、なんだか根の深い念のようなものを感じました。
いつも思うのだけれど、「もうロリータファッションは卒業しました」とか、自分の判断でやめたり飽きたりすることを「卒業」と言い換えるのって、あまり正しくない気がします。卒業は自分から「卒業します」といってできるものではなくて、自分への評価がじゅうぶん認められた時にお墨付きとして与えられるものだし。
その点、ぐりとまらさんのこのエピソードは、ほんとうに「卒業」させられた感じが、とても切なく、爽やかでした。
まあおつらい時期もあるでしょうが、結局、お兄さんによく似た相手を見つけることになると思います。そんなことに気づかずに付き合っていて、あるときふと「あ、そういえばこんな癖、兄にもあった」って思い当たる。そんなもんです。
○ご自分で「もう卒業」という方は学歴詐称です ごきげんよう
■今日から新テーマ「お酒の席での恋愛エピソード」を募集!
というわけで今回はここまで。
次回から、募集テーマが変わります。4月のテーマは「お酒の席での恋愛エピソード&短歌」。
4月といえば、お花見はもちろん、歓迎会・新歓コンパなど、何かとお酒の席での出会いが多いのではないかと思います。
もちろんお花見での怨霊恋愛体験を書いていただければ嬉しいですが、そうじゃなくても、屋外・屋内に問わず、お酒にまつわるエピソードと短歌をお寄せいただけると嬉しいです。
では、また次回。
Text/佐々木あらら