社会そのほか速
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◇「風化させない」駅で誓う
首都を揺るがしたあの日から20年。オウム真理教による地下鉄サリン事件の被害者たちは20日午前、それぞれの思いを胸に、現場の駅に立った。朝のラッシュを直撃したテロを思い出すと、今でも恐怖がよみがえる。それでも風化させてはならないと誓って、この日も足を運んだ。
最も多い被害者が出た東京メトロ日比谷線小伝馬町駅には朝から被害者らが訪れた。埼玉県越谷市のパート従業員、加藤勲さん(66)も駅に設けられた献花台に花を手向けた。
20年前、職場に向かう途中の小伝馬町駅で電車が止まった。職場に遅刻すると連絡しようと、ホームで公衆電話の列に並んだ時、「空気が悪いので地上に出てください」とアナウンスがあった。直後に男性の叫び声が聞こえると、周囲の乗客らと改札に向かって走り、訳が分からないまま階段を駆け上がった。泡を吹いて駅員らに抱えられた男性の姿が忘れられない。
生き残った者として、事件を風化させないと誓った。3月20日はできる限り現場を訪れている。
「あの日感じた恐怖は20年たった今も変わらない」。出勤途中に被害に遭った埼玉県草加市の会社員、竹中栄子さん(61)も、当時の光景を鮮明に覚えている。ホームに響くうめき声や避難を呼び掛ける駅員の叫び声。目の痛みに耐え、やっとの思いで地上に出ると、多くの負傷者が横たわり、消防隊員から処置を受けていた。この日、献花台に花を添えると「自分も死んでいたかもしれないという恐怖がこみ上げてきた」と振り返り、涙をこらえた。
当時高校1年生だった東京都足立区の会社員、秋山由佳さん(36)は事件後初めて小伝馬町駅を訪れた。サリンがまかれた電車の後続電車に乗っていた。駅で下車した直後、異臭に気づいて地上に避難した。目がかすむなどの症状に悩まされたが、医師からは「原因ははっきりしない」と言われてきた。小伝馬町駅を電車で通過するだけでも気分が悪くなっていたが、「20年分の心のわだかまりが、やっと消えた気がする」と話した。
駅員が犠牲となった東京メトロ霞ケ関駅では、事件発生時刻の午前8時に駅員22人が黙とうをささげた。【山本将克、神保圭作】