社会そのほか速
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JR西日本の3月定例社長会見にて、「トワイライトエクスプレス」の団体専用臨時列車としての運転を検討中であることが明らかにされた。一部車両を京都鉄道博物館(2016年春オープン予定)に保存・展示する方針も発表された。
3月10日に「トワイライトエクスプレス」の報道公開も実施された
寝台特急「トワイライトエクスプレス」は24系客車の専用編成3編成を使用し、大阪~札幌間で運転。ラストランを前に3月10・11日の2日連続で運休となったものの、最終日の3月12日は大阪発・札幌発ともに無事運行された。1989年のデビュー以来、約25年間でのべ116万人が利用したという。
大阪~札幌間での運行を終え、車両の老朽化も進んだ「トワイライトエクスプレス」だが、利用者や旅行業界からの強い要望もあり、「列車のやりくりをして、団体専用臨時列車としてしばらく運転できないかという検討をしております」とのこと。運転日やルートについては決まり次第、発表するとしている。
あわせて一部車両を京都鉄道博物館に保存・展示する方針も発表され、「今後もトワイライトエクスプレスに触れるチャンスを提供させていただき、新たな寝台列車『トワイライトエクスプレス 瑞風』に伝統を受け継げるように取り組んでいきたい」とした。なお、「トワイライトエクスプレス」に関連したイベントとして、梅小路蒸気機関車館にて4月7日まで、メモリアル写真展「Twilight Time」が実施されている。
AneCan専属モデルの森絵里香さん
表参道の一角に突如現れたのはゴルフウエアブランド、パーリーゲイツの期間限定のポップアップショップ。ビルの外装、内装ともにカモフラージュ柄で統一され、ブランドが掲げる今春のテーマ「PLaY WITH camo」の世界観を表現している。
3月12日にはオープンを記念したレセプションパーティーが開催。18時から21時のわずか3時間で、120人もの人が訪れた。中にはF1レーサーの小林可夢偉さんやプロ野球選手の今江敏晃さん、モデルの浦浜アリサさん、森絵里香さんなど多数の著名人も。また、来場者はフォトグラファーのレスリー・キー氏による写真撮影を体験し、撮り下ろした写真は3階の大型スクリーンに映されるなど、趣向を凝らした仕掛けに会場は大いに盛り上がった。
店内にはカモフラージュ柄を基調とした新作のウエアや小物が多数ぞろい、ポップアップストア限定のTシャツやキャップ、ヘッドカバーも数量限定で販売。同ポップアップショップは3月22日(日)までの期間限定ショップとなっている。
パーリーゲイツ ポップアップショップ
期間:3月13~22日(日)11:00~20:00
住所:東京都港区南青山5-1-25 ZeroBase表参道
(東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅から徒歩約1分)
問い合わせ:03-6748-0392
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視察のため等々力陸上競技場入りするハリルホジッチ監督
ヤマザキナビスコカップ予選リーグBリーグ第1節が18日に行われ、川崎フロンターレと名古屋グランパスが対戦した。
翌19日に日本代表メンバーを初めて発表するヴァイッド・ハリルホジッチ監督が視察に訪れた同試合は12分に動く。右サイドからの中村憲剛のスローインをニアサイドのエウシーニョがバックヘッドでゴール前へ流し、走り込んだ大久保が頭で押し込んで、川崎が先制する。大久保はJ1開幕2戦でも得点しており、公式戦3試合連発となった。直後にも中村が左サイド深くまで切り込み、グラウンダーのクロスを小林悠が合わせるも、GK高木義成が防いだ。
名古屋は左サイドから小屋松知哉や永井謙佑がクロスを送り、川又堅碁が合わせる形を作るが、シュートは枠を捉えられない。しかし迎えた42分、名古屋は高い位置でボールを奪うと小屋松から右サイドに展開。矢野貴章のクロスにファーサイドの永井がうまく右足ボレーで合わせてネットを揺らし、同点とした。
後半は名古屋ペースで始まると49分、右CKから川又がヘディングシュート。いったんはGK西部洋平が弾いたが、跳ね返りを自ら蹴り込んで逆転した。79分にはまたも右CKから今度は田中マルクス闘莉王が頭で合わせたが、強烈なシュートはポストをヒットした。
ゴールの遠い川崎に対して名古屋は終了間際の87分にも、永井の左クロスを川又が左ボレーで決め、リードを広げると3-1で勝利を収めた。
【スコア】
川崎 1-3 名古屋
【得点者】
1-0 12分 大久保嘉人(川崎)
1-1 42分 永井謙佑(名古屋)
1-2 49分 川又堅碁(名古屋)
1-3 87分 川又堅碁(名古屋)
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AFCチャンピオンズリーグ・グループステージ第3節が18日に行われ、2連敗中のガンバ大阪はホームでブリーラム・ユナイテッドと対戦した。
G大阪は、開幕節で広州富力に0-2と敗れると、第2戦も敵地で城南FCに2点差負けを喫し、2連敗となっている。リーグ戦でもここまで勝利がなく、スタートダッシュに失敗してしまった。一方、ブリーラム・Uは2連勝でグループFの首位に立っている。
最初にチャンスを掴んだのはブリーラム・U。4分、左サイドでFKを獲得すると、キッカーのスシャオ・ヌットヌムが上げたクロスをジオゴが頭で合わせたが、シュートはゴール左に外れた。
続く8分、後方から浮き球のパスが出ると、プラキット・ディープロムがダイレクトでループシュートを狙う。ボールは東口順昭の頭上を越えてゴールに迫ったが、東口がなんとか戻ってかき出した。
一方のG大阪も攻めに出る。9分、ペナルティエリア右でボールを持った宇佐美貴史が、中央に切れ込み右足でシュート。ここはブリーラム・Uの守護者シワラック・テースーンヌーンが弾く。こぼれ球をパトリックが詰めにいくが、シワラックがなんとかボールを収めた。
さらに11分、再びペナルティエリア右でボールを受けた宇佐美が、相手DFをかわし中央の阿部浩之に横パス。阿部がダイレクトでシュートを放つと、シワラックが触ったボールはクロスバーを叩き、得点には至らなかった。
ここまでチャンスを決めきれないでいたG大阪に、待望の得点が生まれる。39分、右サイドのパトリックが中央に折り返すと、宇佐美が振り向きざまにシュート。キーパーが触れたボールが左ポストに当たりこぼれると、阿部がこれを詰めて先制に成功した。このままG大阪が1点をリードして前半が終了する。
後半、最初にチャンスを得たのはブリーラム・U。56分、ペナルティエリア手前からジオゴがミドルシュートを放つ。しかし、これはわずかにゴール右に外れた。
すると62分、ブリーラム・Uがペナルティエリア手前やや右の位置でFKを獲得する。ティーラトン・ブンマタンが左足で狙うと、ボールはゴール右上隅に決まり、ブリーラム・Uが同点に追いついた。
さらに74分、ゴールから30メートルほどの位置でブリーラム・UにFKが与えられる。今度はスシャオが直接狙うと、カーブがかかったシュートはクロスバーを直撃。G大阪はなんとかピンチを免れた。
その後、両チームともにゴールへ迫ったものの、得点は変わらず、1-1の引き分けに終わった。
G大阪は4月7日に行われる第4節、敵地でブリーラム・Uと対戦する。
【スコア】
ガンバ大阪 1-1 ブリーラム・ユナイテッド
【得点者】
1-0 39分 阿部浩之(ガンバ大阪)
1-1 62分 ティーラトン・ブンマタン(ブリーラム・ユナイテッド)
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たった一声発しただけで、場の空気を一変させ、聴き手の琴線を揺さぶるシンガーというのは時々存在する。しかし、ついこないだまで高校に通っていた19歳の女の子となると話は別だ。まるでノラ・ジョーンズのようにブルージーでスモーキー、それでいてポップな要素も内包する声の持ち主は、福岡出身の藤原さくら。彼女が高校卒業後に上京し、YAGI&RYOTA(SPECIAL OTHERS)やCurly Giraffe(高桑圭)、高田漣ら多彩なサウンドプロデューサー陣を迎えて作り上げたのが、このたびリリースされるメジャーデビューミニアルバム『à la carte』である。
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「一体、どんな天才肌の人が現れるのだろう?」と、少々構えてインタビューに臨んだが、まだあどけなさの残る可憐な彼女の雰囲気に驚かされた。カラオケでボカロ曲を歌い、ワールドミュージックへの興味やポール・マッカートニーへの溢れんばかりの愛を熱く語る表情は、ごくごく普通の19歳女子のそれだ。そんな天真爛漫な藤原さくらが、新しい環境で孤独や不安と戦いながら、音楽を作り続けているのはなぜだろう。藤原さくらにとって歌うこととは? 生い立ちからデビュー作への思いまで、たっぷり語ってもらった。
■「職業にしていきたい」って強く思ったのは音楽だけでした。それ以外は考えられなかったですね。
―さくらさんは、元々はお父さんの影響で音楽を始めたんですよね。先月も、地元の福岡でお父さんと共演したのだとか。
藤原:そうなんです。「藤原さくらと保護者たち」っていうバンド名で出演したんですけど(笑)。お父さんが福岡でバンド活動をしていて、小さい頃からお父さんの好きな音楽を聴いて育ちました。小学5年生のときにギターを買ってもらって練習していくうちに、YUIさんみたいな人を「シンガーソングライター」って呼ぶと知ったんです。そこから「シンガーソングライターになりたい!」って強く思うようになりました。
―音楽以外に何か興味を持ったことはありました?
藤原:陸上部に入ったり、絵を描いたりしてました。ヌードデッサンに通ったこともあります。読書も好きで、知らないことや体験したことがないものに興味があるので、小説より「細胞」とか「宇宙」とか「宗教」についての専門的な本をよく読んでいました。昔からいろんなことに興味があったんですが、「職業にしていきたい」って強く思ったのは音楽だけでした。それ以外は考えられなかったですね。
―そんな風に音楽を職業にしていきたいと強く思ったきっかけは何でしょうか?
藤原:中3の春休みに、タップダンスをやっている同級生のライブを観に行ったのがきっかけでした。それまで自分は、「シンガーソングライターになりたい」とは思っていたものの、口で言ってるだけで特に何かしていたわけでもなくて。同級生の頑張ってる姿から「このままじゃダメだ」って刺激を受けて、福岡のボーカルスクールを片っ端からまわって、体験入学しに行きました。
―高校生になってボーカルスクールに通い始め、そこで紹介されたオーディションに通過して、東京と福岡を行き来し始めるんですよね。傍からはすごく順調に進んでいるように見えたと思いますが、実際当時の心境はいかがでしたか?
藤原:初めてのオーディションをきっかけに、それまでは一人で弾き語りをしていたのに、いきなり東京へ出てきて沢山の人の前で演奏するようになったから、最初は不安でした。でも、人に「いいね」って言ってもらうたびに、どんどん自信がついていったし、自分の曲を人に聴いてもらって、それに共感してもらうのは、すごく素敵なことなんだなって思うようになりました。
■ポール(・マッカートニー)みたいなアーティストになりたいんです。エンターテイナーでもあるし、すごくコアな曲もあれば世界中の人の心に届くような曲もある。
―ご自身の声の魅力に気づいたことも大きかったんじゃないですか?
藤原:そうですね。最初は自分の声の持ち味に全然気づいてなくて、高いキーの曲を無理して歌ってたんですよ。でも、あるときボーカルスクールの先生から「他の曲も歌える?」って言われて。キーの低い阿部真央さんの曲を歌ったら、「すごくブルージーで他にない声だね。大事にした方がいいよ」って言ってもらえたんですよね。そんなこと今まで言われたことがなかったから、「自分の声って、ブルージーなんだ」って初めて気づきました。それからは自分の声に自信が持てるようになれたし、ノラ・ジョーンズのような海外の女性シンガーソングライターを好きになっていきましたね。
―自分の声が好きになれたことで、さらに音楽への興味が高まっていったんですね。ノラ・ジョーンズの他には、どんな音楽を聴いていましたか?
藤原:一番好きなのはポール・マッカートニー。もう、全部が好きですね!(笑) 『RAM』(1971年に発表されたポールと妻・リンダの共作アルバム)を最初に聴いたときは、鳥肌が止まらなくて。涙が出そうになるんですよね、ポールの曲を聴いていると。
―『RAM』って、今でこそ高く評価されてますが、当時は酷評されてたんですよ。
藤原:そうなんですよね! でも、一番よくないですか?(笑)
―僕も大好きなアルバムです(笑)。
藤原:ポールみたいなアーティストになりたいんです。エンターテイナーでもあるし、すごくコアな曲もあれば、世界中の人の心に届くような曲もあって。でも、ポールを聴いてると時々嫌になることもあるんですよ。すごすぎるから「絶対に超えられない」って思ってしまって。そんなふうに感じるのはポールだけです。好きすぎるんだと思います(笑)。
■私の音楽を好きな人にも、世界にはいろんな音楽があることを知ってもらえたらいいなと思ってます。
―ポール・マッカートニー以外にも、ボカロ曲からワールドミュージックまで、本当に幅広くいろんな音楽を聴いているそうですね。
藤原:そうですね。ボカロは友達とカラオケに行ったときによく歌っています。ワールドミュージックは、ノラ・ジョーンズを聴き始めたのと、The Beatlesのよさを再認識したことがきっかけで好きになりました。「この人が好きなら、この人も」っていう感じで、YouTubeの関連動画を掘っていったり、CDショップのポップのコメントを読んでよさそうだったら買ったりして、少しずつ好きな音楽が増えていますね。私の音楽を好きな人にも、世界にはいろんな音楽があることを知ってもらえたらいいなと思ってます。
―ライブで演奏するカバー曲でも、アントニオ・カルロス・ジョビン(ブラジルのボサノヴァの生みの親ともいわれるミュージシャン・作曲家)を取り上げてますもんね。さくらさんの声はすごくブルージーですが、ブルースに深く傾倒しているだけではないんですね。
藤原:もちろんブルースも好きなんですけど、とにかくワールドミュージックが好きなんです。その音楽がどうやって生まれたのかとか、その国の歴史まで調べるのが楽しくて。今、FM福岡とInterFMでラジオDJをしているんですけど、そこで音楽を紹介するときにも、背景とかちゃんと調べたほうが伝わりやすいと思うし。例えばフレンチポップだったら、フランスは移民がたくさんいる国だから、いろんな要素が入っているとか。
―自分で曲を作っているときにも、ワールドミュージックやポール・マッカートニー、ノラ・ジョーンズなど自分の好きな音楽からの影響があると思います?
藤原:自分では気づかなくても、私の曲を聴いたお父さんから「なんかこれ、ポールの感じが出ている気がする」とか言われると、影響を受けてるんだなって思いますね。やっぱり自分が聴いてきた音楽が作る曲に反映されると思うので、もっといろんな曲を聴きたいです。
―曲や歌詞はどういうときに生まれることが多いですか?
藤原:いつも作りたいときにしか作っていない感覚です。自分の中にずっと溜めてきた感情を発散したいときとかですかね。そういうときって、友達に話すとか人それぞれ方法があると思うんですけど、私には「曲にする」っていう形もあるんだなって。曲にすることで自分自身が救われることもありますし。
■メジャーデビューっていうのは沢山の人に聴いてもらうってことだから、私の音楽を「受け付けない」って思う人も出てくるだろうなとは思ってます。
―2013年、さくらさんが高校3年生のときに、自主制作で4曲入りのミニアルバム(『bloom1』『bloom2』『bloom3』)を作っているんですよね。
藤原:はい。高校に入って音楽を始めてから、自分の気持ちがどんどん変化していったので、その集大成として形にしたのがその3枚のミニアルバムなんです。翌年、それらをまとめて新曲を追加したのが、高校卒業と上京を機に作ったフルアルバム『full bloom』(2014年)です。
―では、今回リリースされるメジャー第1弾のミニアルバム『à la carte』は、『full bloom』でそれまで作ってきた曲をすべて出し切った後、まっさらな状態から作ったんですね。
藤原:“My Heartthrob”という曲以外は、『full bloom』を出した後に書いた曲なので、上京してからの気持ちが詰まっていると思います。『full bloom』から1年経ってますし、インディーズからメジャーになったので、また全然違う気持ちで臨めました。
―YAGI&RYOTA(SPECIAL OTHERS)さんやCurly Giraffe(高桑圭)さん、高田漣さんなど、サウンドプロデューサーやゲストミュージシャンもとても豪華です。
藤原:最初は緊張しましたけど、本当にみんな優しいし面白いし、楽しい現場でした。「みんなで一緒に作ったアルバム」っていう気持ちが強くて、それがとにかく嬉しいですね。
―若くして実力が認められ、メジャーデビューに至ったさくらさんですが、「19歳にして」とか、去年までだったら「女子高生にして」みたいな言い方をされるのはどう思いますか?
藤原:うーん……全然嫌じゃないんですけど、「じゃあ女子高生じゃなくなったら、10代じゃなくなったら、一体どうなるんだろう?」っていう気持ちはありますね。それに、褒められれば褒められるほど、なんだか自分のことじゃないような気がして。褒められるのが嫌というわけじゃないし、ずっと褒められて生きていきたいですけど(笑)。でも、メジャーデビューっていうのは沢山の人に聴いてもらうってことだから、私の音楽を「受け付けない」って思う人もこれから出てくるだろうなとは思ってます。
■友達のTwitterとか読むと病んじゃうから、見ないようにしてました(笑)。
―上京してまだ1年ですよね? 東京の生活に慣れるのも大変なのに、メジャーデビューに向けて準備を進めていくのは大変だったんじゃないですか?
藤原:そうですね。不規則な仕事だし、ライブが重なるといろんな人と一気に会って、その翌日に一人きりになったりするので、その落差に最初はついていけませんでした。同世代で活躍している人とか見てても、「私も頑張らなきゃ」って鼓舞されると同時に、ついつい比べちゃったりして、「辛いな」と思うこともありましたね。
―地元の友達の中で、一緒に上京してきた人はいなかったんですか?
藤原:いるんですけど、彼女たちは学校もあるので毎日会えるわけでもない。それに、私は新しい友達がなかなかできない環境なのに、大学に通ってるみんなはどんどん新しい友達ができていくわけじゃないですか。それも寂しいなって思っちゃったりして。友達のTwitterとか読むと病んじゃうから、見ないようにしてました(笑)。
―きっと友達は、なかなかさくらさんの辛さを想像できないですもんね。
藤原:そうなんですかね。ライブをやったり表に出ている姿しか見ていないから、その後一人寂しく曲を作っていることまではわかってもらえないかもしれません。そういう面が伝わらなくて当然なんですけどね。ただ、月に1度はラジオのレギュラー番組の収録で福岡に帰るので、そこでお母さんと話すのはリフレッシュできていいなって思います。
―アーティストとしての活動は順調ですしね。
藤原:頑張っていきたいですね。シンガポールでも歌わせてもらったり、ベルメゾン「ホットコット」のCMに出させてもらえたり、今まで私のことを知らなかった人たちにどんどん届くようになってからは、「辛い」ばっかり言ってられないなって。でも実際、楽しく活動させてもらってます!
―今回のアルバムの1曲目、“Walking on the clouds”は楽しげな歌詞ですが、他の曲は失恋についてだったり、コミュニケーションのすれ違いだったり、切ない曲が多いですよね?
藤原:たしかに。“Cigarette butts”は失恋の曲だし、“My Heartthrob”は「好きだけど、思いは伝えないよ」っていう曲だし。でも、これまでの私にとっては割とポップで明るい方じゃないかな。もっとどん底まで落ちる曲もあるので(笑)。例えば『full bloom』には“嘘つき”とか“ラタムニカ”とか、自分の心の奥底にある気持ち詰め込んだ暗い曲も入ってますけど、今作には別れる相手に対する感謝の気持ちを歌った曲(“ありがとうが言える”)も入っているので、少しは大人になったのかなって思います。上京して一人暮らしを始めて、いろんなことに頼りきってた自分から脱却したから、歌詞の内容も変わってきてるのかもしれないです。
―ご自身の経験や体験も、歌詞に反映されてるんですね。
藤原:反映してますね(笑)。でも、前作の“Ellie”みたいに、三人称(she)を使ったり、物語調の歌詞を書いたりするのも好きです。
―ポール・マッカートニーも“She Loves You”っていう三人称の曲があるし、物語調の曲を得意としてますよね。
藤原:そうですね! やっぱり、ポールみたいになりたいんだと思います(笑)。
■「楽しんで音楽をやる」っていう根本的なことは忘れないようにしながら、毎日を送っていけたらなって思います。楽しみながら死にたい!
―英語詞を書くときと、日本語詞を書くときでは、どう気持ちが違うのでしょう?
藤原:ライブを観に来てくれた人の反応を見たり感想を聞いたりすると、やっぱり日本語の歌詞の方が伝わりやすいから、大事にしていきたいとは思ってます。ただ、自分がワールドミュージックを聴いているとき、歌詞の意味がわからないぶん、メロディーがよりストレートに耳に入ってきたり、単純に言葉の響きを楽しめたりすることがあるんですよ。そういう「言葉では伝えきれない思い」みたいなものは、日本語以外の歌詞で歌っていきたいなと思います。
―やっぱりさくらさんの根底には、自分がワールドミュージックから受ける感動を人に伝えていきたいという思いがあるんですね。
藤原:やっぱり自分と同世代の子たちにもワールドミュージックのよさに気づいて欲しいし、自分がその架け橋になれたらなっていう思いもあります。以前、「一人ワールドツアー」と銘打って、英語や日本語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語……と各国の歌を1曲ずつカバーしたことがあって、すごく楽しかったんです。もっと頑張って勉強して、英語圏以外の曲も伝えていけたらなって。
―「一人ワールドツアー」、聴いてみたいです!
藤原:そういう意味では、ライブへの向き合い方も以前とは変わったなって思います。今までは自分のためだけに歌っていたところもあったのに、目の前にいる人や、CDを買ってくれた人に届けたい、思いを共有したいっていう気持ちが強くなってきました。それも、自分の中での成長なのかな。
―では最後に、今後さくらさんが大切にしていきたいことは?
藤原:「自分は楽しんで音楽をやっているんだ」っていう気持ちですね。前にボーカルスクールの先生が、「音楽は『音が楽しい』っていう意味なのに、やってるうちに『音が苦』になってしまう人もいる」って言ってたんです。もちろん、スランプとか辛いことは色々あるだろうし、苦しいときに作った曲の方がよかったりもするんですけど(笑)。
―振り幅が大事っていうことですよね。苦しいときもあるかもしれないですけど、そのぶん楽しみも大きくなるから、ちゃんと戻ってきてください(笑)。
藤原:そうですね。「楽しんで音楽をやる」っていう根本的なことは忘れないようにしながら、毎日を送っていけたらなって思います。楽しみながら死にたい!(笑)