社会そのほか速
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テリー でも新日みたいな老舗で新しいことをすると、いろいろ軋轢もあったんじゃないですか。
棚橋 アレルギー反応もありましたね。昔ながらの新日のファンからブーイングが出て。
テリー 「やめろ!」って。
棚橋 そういうのもありますし、「生理的に嫌い」といった意見とか。「棚橋の試合は、俺は無理」とか。エアギターを始めた頃は、やっている時にお客さんが帰っていました。だけどめげずに「まだまだ帰るのは早いですよ」と言いながら続けたんです。
テリー そこで自分のスタイルを曲げなかったと。
棚橋 あとは低迷していた新日本を新しく変えるために、とにかく猪木さんのイメージから離れないといけないと考えて。僕が最初にやったことは、道場にかかっていた猪木さんのパネルを外すことでした。
テリー おお、すごい。
棚橋 「もう取りましょう」って。その頃は、僕が理想とするプロレスに自分自身の力がまだ追いついてなかったので、お客さんからのブーイングもしかたなかったと思います。でも必死で戦っているうちに、転換期が来るんですね。
テリー 認められた瞬間があったんですね。
棚橋 2009年の試合で、開始直後はブーイングだったのが、試合のあとに棚橋コールになったんです。
テリー どういう試合だったんですか。
棚橋 5月に中西(学)選手とタイトルマッチをやって、僕がベルトを取られた。そのまた1カ月後、同じ対戦カードで再びタイトルマッチをやったんです。中西さんもようやく取ったチャンピオンベルトですから、会場のファンも「中西に勝ってほしい」という声援が多かったんです。
テリー つまり棚橋さんは敵役だった。
棚橋 はい。中西さんはパワーもあるし、ダイナミックな技で防戦一方だったんです。でもそんな中で、自分が立ち向かっていく姿がファンの方に伝わったのかなと。その試合以来、声援が増えるようになっていきましたね。
テリー 今はどういったファンが多いんですか。
棚橋 お子さんや家族連れ、女性ファンがすごく増えました。
テリー 女性ファンが多いのは、うれしいですよね。
棚橋 はい。スターになれると思って新日本プロレスに入っているので。僕はサイン会でファンの方とおしゃべりする時も、「黄色い声援をお願いします」とあえて言います(笑)。
テリー 女性ファンが増えると、試合内容も変わってくるものですか。
棚橋 いえ。試合に関しては、昔ながらのプロレスも大好きですし、そこの部分は変えたりはしないんですね。…