社会そのほか速
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<宮城・東北 真壁賢守投手>
2003年(平15)夏、2年生エース、ダルビッシュ有を擁する東北(宮城)は決勝で常総学院(茨城)に2-4で敗れた。腰痛と右すね痛を抱えたダルビッシュを好投で助けた右サイドスロー真壁賢守(けんじ、29=ホンダ投手コーチ兼マネジャー)は、その大会で人生が大きく変化したと振り返る。
背番号18、黒縁メガネの右サイドスロー。東北の2年生控え投手真壁は、甲子園が終わると日本中から「マカベッシュ」と呼ばれるようになっていた。12年たった今も、トレードマークのメガネ姿は変わらない。
真壁 あの夏はすごい1カ月でした。全てが急で、人生が180度変わった。今、こうしてホンダのユニホームを着ているのもあれが原点なんです。
夏の県大会1週間前。若生正広監督から上手投げから横手投げへ転向するよう勧められた。
真壁 なかなか受け入れられませんでした。サイドは上手で通用しない選手の苦肉の策だと。
だが、県大会2回戦仙台三戦で上とも横でもない「中途半端」なフォームで打ち込まれたのを機に、大会中にサイドのフォームを磨いた。そうして迎えた夏の甲子園。「経験でベンチに入れてもらった」と思っていたが、初戦で先発のダルビッシュが2回で降板。続く2番手斎藤が持たず、3回表無死満塁のピンチでいきなり出番が訪れた。
真壁 (ダルビッシュ)有に(若生)監督が「どうだ」と聞いたら「もういいです」とあいつが言って。いいんだ、と(笑い)。ブルペンで5球ぐらい投げてすぐに呼ばれました。初の甲子園のマウンドを味わう余裕はありませんでした。
守備の乱れもあり、4失点し7-6と1点差に迫られたが、4回以降は見違える投球を見せた。5~7回を無安打で抑え、7回裏の猛攻を呼んだ。最後まで投げて7回5安打1失点勝利。堂々のデビューだった。
準々決勝は先発5回2/3を1失点、準決勝は抑えで4回1/3無失点。この期間中に左対策として磨いたシンカーで三振も奪った。ダルビッシュが本調子でない分、「俺がやらなきゃ」という責任感が生まれていた。だが、決勝は満身創痍(そうい)のエースに任せた。
真壁 ダルビッシュのチームですから。ブルペンで肩を作りながらも、最後まで投げてほしいと思っていました。
盟友ダルビッシュとともに3度甲子園を経験し、いずれも大旗には届かなかった。翌春センバツの準々決勝済美戦では、6-4の9回2死から逆転3ランを浴び号泣。夏は3回戦で千葉経大付に延長10回で敗れた。春に泣いた分、最後の夏の涙はこらえた。
他の高校ならエースだったかもしれない。大学時代、周囲が持つイメージに耐えきれず、野球に身が入らない時期もあった。だが、今はダルビッシュがいたからこそ、自分があると話す。
真壁 「こいつを抜かそう」とは全く思わなかった。むしろ、ダルビッシュの2番手としてのプライドがありました。今も毎オフに連絡を取りあって食事しますが、お互いリスペクトしている部分はあるのかな。
東北福祉大を経て、現在はホンダで投手コーチとマネジャーを務める。
真壁 今、野球人生で一番充実しています。都市対抗優勝を目指し、1日1日を大事に過ごしたい。ダルビッシュの後ろで開花できたように、監督ではなくコーチとか、サブの立場が合っているんだと思います。
今も誇りを胸に、日本一を目指している。(敬称略)【高場泉穂】