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「疑似家族として作り直せる世界が共同生活にはある」とNPO法人北陸青少年自立援助センター・Peaceful Houseはぐれ雲のリーダー江川貴浩(35歳)は話す。
製造業界で働く父親と専業主婦の母親のもと、神奈川県逗子市に生まれた。父親は転勤族で、幼少期から転校を繰り返した。友達と野球に明け暮れる闊達(かったつ)な少年であったが、小学6年生の夏休み明け、突如、学校に行けなくなる。理由は「なんとなく」と江川自身も明確な答えを持ち合わせていない。慌てた両親は江川を病院に連れていく。内科や神経科だけでなく、脳検査も行ったが異常は見つからなかった。
中学生となり、入学式だけは出席したものの翌日から登校できなくなった。1か月様子をみたものの状況は変わらず、母親から「少し環境を変えてみては」との提案を受け、横浜の祖父母のもとで過ごすことにした。江川自身も「何かを変えなければいけない。変わりたい」と願っていた。
大きな変化はなかったが、「何か勉強をしないといけないのではないか」と焦っていた江川に、祖母は「あなたの好きな世界地図を眺めていればいいよ」と声をかけた。「これも勉強をしていることになるんだ」と救われた気持ちになった。
月に数回、嫌々ではあったが特に抵抗することもなくクリニックでカウンセリングを受けた。あるとき、主治医から「君は変わりたいの?」と聞かれ、素直に「はい」と答えた。全国から学校や社会に居場所のない10代、20代の若者が集まり、共同生活を通じた自立支援を行う「はぐれ雲(現NPO法人北陸青少年自立援助センター Peaceful Houseはぐれ雲)」を紹介された。
変わりたい自分と、知らない場所に行くことへの不安。悩んだ末に、江川は入寮を両親に願いでる。「自分には選択肢がなかった」という。富山県にある「はぐれ雲」の前に到着したとき、怖くて車から降りられなかった。しかし、最後は意を決して自らドアを開けた。1991年7月の暑い日だった。
「はぐれ雲」での共同生活は楽しかった。やんちゃなお兄さんたちに囲まれ、農業に従事したり、地元のお祭りに参加したりした。寮から学校に通っている仲間が夏休みだったため、毎晩が修学旅行や合宿のようだった。「ひととの触れ合い、関わり合いが嬉(うれ)しかった。でも、笑顔の裏側で寂しさから帰りたいとも思っていた」と江川は振り返る。血のつながらないお兄さん、お姉さんたちが学校に通う姿を見て、江川は自然と「通いたいな」と思うようになる。「はぐれ雲」に来て4か月経(た)った11月、寮から地元の中学校に登校することを決意する。「初日はめちゃくちゃ緊張しました。負のイメージしかない。ただ、寮生のみんなが先輩としている安心感があった」という。
陸上部に入り、友人らと騒ぐ。そんな中学生らしい中学校生活を取り戻した江川は、卒寮し、両親とともに東京で暮らし始める。大きな問題もなく高校を卒業し、1年の浪人生活を経て専修大学法学部法律学科に進学した。しかし、授業に面白みを見いだせず、惰性でサークルやバイトを繰り返す日々。2回生を終えた時点でほとんど単位を取っていなかったため留年が決定する。
なんとなく過ぎていく毎日に、「一度立ち止まって考える時間がほしかった。何かに疲れていたのかもしれない」と江川は大学を休学する。アルバイトで貯(た)めた資金を取り崩しながらアジアを旅行したり、のんびりと時間を過ごしたりした。「休学の1年で何かすごくリラックスできた気がした」と江川。復学後は真面目に授業に出た。すると勉強が面白くなってきた。安易に決めた大学進学、学びに目が向いていなかった自分、大学が有意義な学び舎(や)に変わった。
卒業後は警察官を志望する。「転勤を繰り返す父親のようなサラリーマン生活は考えられなかった」という江川には、高校時代にバイク違反で捕まったとき、地元交番の警察官が口にした「お前は警察官に向いているんじゃないか」という何気ない一言が心に残っていたからだ。しかし、1次試験は通過したが面接に受からなかった。
警察官への道が絶たれた江川。ひとのためになれる仕事は何かと思案していたところ、父親から「はぐれ雲」の代表である川又直氏に相談してみたらいいと助言を受けた。何年かぶりに電話をすると、川又氏から「遊びに来いよ」と言われ、すぐに富山へ向かった。第二の故郷である富山。夏休みだったこともあり、そのままボランティアで2か月滞在した。そこには江川がお世話になっていた頃と変わらない若者たちがいた。一時的に本来の力を出せない状態の彼らを見て、素直に応援したいと思った。「この仕事で食いたいです」と川又氏に伝えたところ、卒業後の就職先が決まった。2003年4月1日、江川は「はぐれ雲」の職員として富山の地に根を張る。
寮生を応援しようと意気軒昂(けんこう)な江川だったが、いきなり若者と衝突する。畑の草取りの作業中、「俺はやらない」とふてくされる19歳の男性と激しい口論となる。周囲の制止によりその場は収まったが、「あのままだったらどうなったかわからなかった」と江川は話す。
数時間後、冷静になった2人は畑に座って話し合った。「両親のもとから離れた寂しさからでしょうね。何とか力になりたかったが、まだ信頼関係が結びきれていないなかで、自分自身がこれでうまくいったという思い上がりがあった。彼はそれを感じたのでしょう。大人の気持ちを敏感に感じられる若者ばかりですから」。以来、江川は同じ目線に立ちながらも、言葉より行動する背中で信頼を得ていけるよう努めている。その男性は無事に自立していった。いまも連絡を取り合う仲だ。ひとにかかわるとは何かを学び、ひとと向かい合う心を忘れてはいけないことを江川に教えてくれた恩人だという。
共同生活型支援を行う「はぐれ雲」には、いまも中学生から30代までの幅広い年代層が全国から来ている。理由はさまざまだが、「親元を離れて生活するということ自体が大きな価値であり、自立である」というのが江川の考えだ。
生活をともにする現場で寮生から学び、支援者としての自分を成長させてきた江川だが、理論的な学びにも関心を持ち、2013年4月から精神保健福祉士の資格取得のため通信制の専門学校に通っている。「あくまでも現場、実践が主であり、その補完としての理論と位置付けています。逆はあり得ません」と持論を語る。来年1月の試験に向け、支援活動の合間に勉強を続けている。
支援の土台は共同生活。食卓を囲み、ともに作業する。笑い合い、ぶつかり合う。一緒に生きる。限られた時間のなかでのかかわりではなく、すべての時間がかかわりの世界であり、異なる大人の背中を見せられる世界で、江川は若者たちを支え続けている。
(次回は9月30日掲載予定です)