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乗客守り沈んだ船長…111年前の津軽海峡事故

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乗客守り沈んだ船長…111年前の津軽海峡事故

乗客守り沈んだ船長…111年前の津軽海峡事故 約300人の死者・行方不明者を出した韓国の旅客船セウォル号の沈没事故から、16日で3か月がたった。

  事故では船長が乗客を残したまま逃げたとして殺人罪に問われたが、111年前に津軽海峡で起きた船舶事故で、命をかけて乗客を守ろうとした船長がいたことはあまり知られていない。船長の出身地である石川県能登町鵜川では、今もその人徳と勇気がたたえられている。

  能登町鵜川の菅原神社境内に、高さ6・6メートル、幅1・2メートルの石碑が立つ。1864年に旧鵜川村で生まれ、青函連絡船の船長だった久田佐助(享年38歳)を顕彰するものだ。

  久田は地元で小学校の教員を務めた後、1893年に東京商船学校を卒業し、日本郵船に入社。1903年に、青函連絡船「東海丸」の船長に抜てきされた数か月後の10月29日未明、津軽海峡を航行中にロシア貨物船「プログレス」号と衝突した。船腹を損傷し、沈没するまでのわずかな間に、乗客らをボート5隻に分乗させ逃がしたが、自らは一人で船内に残った。非常汽笛を鳴らし続け、そのまま船とともに沈んだという。

  乗員乗客104人のうち47人が死亡する惨事となったが、久田の行動がなければさらに多くの犠牲が出ていた可能性があったといい、当時は大きく報じられた。

  セウォル号の沈没事故では、船を運航する側の安全に対する責任が改めて問われた。久田船長顕彰会会長の河合元一さん(73)は「韓国の事故に限らず、日本でも責任ある立場の人間が逃げ出すことはある。久田船長の行為は、人の上に立った時の身の処し方、生き方を教えてくれる」と話す。

  鵜川では、事故が起きた10月29日に毎年、地元小学生も参加して石碑の前で追悼行事が開かれる。顕彰会は「地元の誇り」としてこれからも久田の偉功を語り継ぎたいという。(麻生慎士)

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