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【LA発】もう30年も経ったの? と感慨深い。ブルース・スプリングスティーン、ダイアナ・ロスはじめ、そうそうたる米国のトップシンガーたちが、アフリカの飢餓救済のためにレコーディングした「ウィ・アー・ザ・ワールド」がCD発売されたのが1985年3月7日。世界で記録的大ヒットとなる2000万枚を売り上げ、7500万ドル(当時約71億円)もの募金が集まった。
スターたちのスーパーグループを作るのが夢というハリー・ベラフォンテの構想を基に、クインシー・ジョーンズがプロデュースしたチャリティー大イベントだった。
録音の模様はドキュメンタリー作品として収録された。私も憧れの歌手たちの素顔に感激し、歌声に聞き惚れ、繰り返し見たのを覚えている。
同じ思いの記者が多いのか、今月の30周年を記念した記事がメディアをにぎわした。ローリング・ストーン誌が当日の様子を詳しく伝えている。
録音は30年前の1月28日。音楽の祭典「アメリカン・ミュージック・アワード」で有力歌手がロスに集まったのを機に、その晩、A&Mスタジオで行われた。
作詞作曲は、同賞のホストも務め人気絶頂だったライオネル・リッチーと、彼を子供の頃から知るマイケル・ジャクソン。マイケルは曲が完成せず、同賞授賞式を欠席して録音に間に合わせたという。
集まった46人のボーカリストは、究極のスターたち。同誌によると、スタジオには「きみのエゴに注意」の張り紙が。これだけの才能と個性が集うと、必ずもめ事が起こると経験上わかっていたクインシーが用意した。
深夜0時すぎ。まずイントロでライオネルとスティービー・ワンダーの歌声が響く。続いて若いポール・サイモンの澄んだ声にケリー・ロジャースのハスキーボイスがかぶさる。同業者の前で失敗は許されないと、みな緊張した面持ち。入れ替わり歌うスターたちの夢の競演が圧巻だ。
今は亡き大御所レイ・チャールズがスタジオ入りした時は、当時35歳のビリー・ジョエルが「自由の女神が歩いて入ってきたようなもの」と大感激。クインシーに「『ニューヨークの想い』を作った歌手」と紹介され、ビリーは震えていた。その才能を認めたレイは、ロックの殿堂にビリーを推薦したという後日談も伝えられている。
フォークの神様ボブ・ディランはどう歌っていいかわからず、スティービーがディランの物まねで教えるシーンには、笑った。
全員のコーラスでは、アフリカの言葉の歌詞が侮蔑的になるのでは、とクレームが出て、急遽変えられた。参加を快諾したプリンスがトラブルで出演できなかったなどの秘話も紹介されている。
偽善的、自己満足、と非難されることもあるセレブのチャリティーだが、現実に多額の募金が集まる効果は否定できないし、若者へ与えるポジティブな影響も大きい。
久々に懐かしのビデオを見て興奮し、気分は30年前へとタイムスリップした。 (板垣眞理子)2015/3/17 16:56 更新