社会そのほか速
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屋根に井戸水を散水し室温を下げるシステム、自然な風の流れを生かした換気口、庭木の茂るバルコニー――。
住宅メーカー「アキュラホーム」(東京)社長の宮沢俊哉さん(55)の自宅は、自ら手がけた工夫が随所に凝らされている。
可動式の壁面収納や風力発電機などの失敗例もあるが意に介さない。「我が家は実験棟。試してみないと気が済まなくて」と笑う。冷蔵庫裏の熱を逃がす排気口や片面だけで支える開放的な階段などは「実験」を通じて商品化された。
社員数約1000人、売上高約400億円の注文住宅メーカーを率いる。中学を卒業後、大工の世界に入り、19歳で独立したが多額の負債を背負うなど逆境も味わった。「生き残るためには、努力や工夫を重ねていくしかなかった」
転機は1990年代。2万件に及ぶ材料や工法、人件費の単価などをデータベース化。300を超える全国の工務店と建築資材や設備の仕入れなどを共有化することで、コストダウンを徹底した。「安さを口にすることがはばかられる業界」で、あえて「安さ」に挑戦し、急成長を遂げた。
もちろん「質」にも自信がある。祖父も父も大工。仕事を受け継いだことへの思いは強い。社員にも「住まい作りが本当に好きか」「お客さんに喜んでもらうことにうれしさを感じられるか」と問い続ける。
「現場主義」は、自宅を商品開発の実験に使うだけにとどまらない。私的な旅行でも、自社で建てた家を見つければ突撃訪問。家の状態を確認し、入居者から住み心地を聞き取る。海外では現地の不動産屋に空き物件を紹介してもらい、構造から建具までじっくり観察する。
「家は、長く住み続けるもの。建てるだけでなく、建てた後にも気を配らなければいけない」が持論だ。今春、10年間の無料点検とそれ以降25年間の有償補修をセットにした「35年保証」の新商品を発売した。「安さと品質の良さを両立した家作りを続け、暮らしを見守っていきます」と意気盛んだ。(斎藤圭史)
「足腰を鍛えて体力を維持しないと、仕事への覇気もなくなる」。知人との健康談議で、会社では階段を使っているという話を聞き、昨年1月から、東京都新宿区の高層ビル34階にある本社まで階段を上るようになった=写真=。
日々の通勤や移動は車がほとんど。「たまに駅の階段を上ると息切れしていたほどで、いきなり上り切るのは難しい」と、最初は6階を目標に始め、ひと月ごとに目標階を上げていった。
地下の駐車場から計705段目の34階に到達したのは、10か月後。15分かかった。「体力作りが目的だから、ゆっくりと。でも途中で休むことはしません」。昨年末の仕事納めの前日には、締めくくりとして、ビル最上階までの計1050段を約30分で上りきった。
「筋力もつき、駅の階段はもちろん、海外視察でも疲れを感じなくなった。継続は力なりです」
創意工夫して家作りを行うという社の姿勢のPRに役立っているのが、6年前から自作している木製の名刺だ=写真=。
素材は、製材時に余るなどしたヒノキや杉。社長室で自らカンナをかけて、0.1ミリほどの厚さに削り、和紙を挟み込むなどして成形する。
実用化までに半年かかった。当初は時間がたつと変形したり破れてしまったり失敗の連続。20種類以上の接着剤や和紙を試した。
名刺には自身の氏名はもちろん、表面下部にシリアルナンバー、裏面下部に名刺作りに関わった社員の名前も印字する。「丹精込めて手作りしている証し」という。
手作りした木箱の名刺入れに収められている名刺のナンバーはすでに9000番台後半。「1万番台の何枚かは、特別な木で作りたいと思って探しているところです」
社長の山下奈々子さん(54)は「単に直訳するのではなく、場面にぴたりと合う日本語になるように心がけています」と話す。社員16人のほか、契約する翻訳者約700人を擁し、年間約2700本を請け負う。
中でも、ニュースの翻訳は時間との闘いだ。昨年12月、ノーベル平和賞を受けたマララ・ユスフザイさんの記念講演では翻訳スタッフが夜、東京のテレビ局に入り午前4時までに作業を終え、朝のニュースに間に合わせた。このほか、イスラム過激派組織を巡る中東のニュース、元横綱・朝青龍の父のモンゴル語インタビューなど、様々な言語に対応できるのが強みだ。
高校卒業後、米バージニア州のカレッジに2年留学。帰国後、母親の知人から翻訳の仕事を紹介されたのが、この世界に入るきっかけだった。27年前のことだ。
最初の仕事は、映画のビデオ版字幕用の翻訳だった。自宅の一室で寝る間も惜しんで作業に没頭した。作品の雰囲気や俳優のキャラクターなどに合った言葉を選ぶのは大変だったが、そこに面白さを感じた。
その後、翻訳の需要が増え、2000年に会社組織に。翌01年の米・同時テロの際は、テレビ局に泊まり込みで仕事をした。
深夜でも未明でも電話があれば翻訳の依頼を引き受けてきた。現在は、翻訳の最終チェックも部下に任せるようになり、「自分でこなす方が楽だけど、信頼できる社員が育ってきたから」と笑う。今では取引先の半分以上は社員が新規開拓してきた顧客だという。
「翻訳は、語学力より日本語力と幅広い社会経験が求められる」が持論。自分自身も著名音楽家のコンサートや芝居、落語、トークショーなど、興味を持てばどんどん見に行く。「ジャンルを問わず自分の引き出しを増やしておく。これも翻訳者の仕事なのです」(住友堅一)
【休日】関ジャニの大ファン 全国各地のライブへ
アイドルグループ「関ジャニ∞(エイト)」の大ファンで、全国各地のコンサートに足を運ぶ。この正月も福岡まで遠征した。
「大阪で開かれる関ジャニのコンサートチケットがある」と知人に誘われたのは2007年。当時はあまり気が乗らなかったが、「直前まで京都観光に付き合うから」と口説かれた。コンサートに行き、「元気をもらえる」魅力にすっかりはまってしまったという。
少年だったメンバーが次第に大人に成長していく様子を見守るのが楽しい。ルックスのよさ、歌のうまさ、ユーモア。メンバーがそれぞれの持ち味を生かしていると感じる。
昨年11月、新たに起こした福祉サービスの関連会社の名前を、「ワイズ・インフィニティ・エイト」と名付けた。「私の名前が奈々子だから、その次で8。でも本当は関ジャニのファンだからなんです」
【道具】社員同士で評価 やる気アップ
「翻訳者は、どちらかというとおとなしい人が多い」と常々感じていた。「自信を持って堂々と仕事をしてもらいたい」と思い、約5年前に導入した。
シートには、「皆の模範になっている」「笑顔」「前向き」など、16人の社員が考えた16項目の評価項目が並ぶ。各社員は、自分以外の15人について項目ごとに1位だと思う社員の名前を書いていく。最も多く名前を挙げられた人が「部門賞」を獲得する。
さらに、名前が多い順に1位は3点、2位は2点、3位は1点で計算し、総合の1~3位も決める。1人ずつ表彰し、拍手でみんなで祝う。
「必ずみんなが上位になれるよう、評価項目を考えている。お互いを褒め合い、認め合う社内風土になるようにしています」
事故では船長が乗客を残したまま逃げたとして殺人罪に問われたが、111年前に津軽海峡で起きた船舶事故で、命をかけて乗客を守ろうとした船長がいたことはあまり知られていない。船長の出身地である石川県能登町鵜川では、今もその人徳と勇気がたたえられている。
能登町鵜川の菅原神社境内に、高さ6・6メートル、幅1・2メートルの石碑が立つ。1864年に旧鵜川村で生まれ、青函連絡船の船長だった久田佐助(享年38歳)を顕彰するものだ。
久田は地元で小学校の教員を務めた後、1893年に東京商船学校を卒業し、日本郵船に入社。1903年に、青函連絡船「東海丸」の船長に抜てきされた数か月後の10月29日未明、津軽海峡を航行中にロシア貨物船「プログレス」号と衝突した。船腹を損傷し、沈没するまでのわずかな間に、乗客らをボート5隻に分乗させ逃がしたが、自らは一人で船内に残った。非常汽笛を鳴らし続け、そのまま船とともに沈んだという。
乗員乗客104人のうち47人が死亡する惨事となったが、久田の行動がなければさらに多くの犠牲が出ていた可能性があったといい、当時は大きく報じられた。
セウォル号の沈没事故では、船を運航する側の安全に対する責任が改めて問われた。久田船長顕彰会会長の河合元一さん(73)は「韓国の事故に限らず、日本でも責任ある立場の人間が逃げ出すことはある。久田船長の行為は、人の上に立った時の身の処し方、生き方を教えてくれる」と話す。
鵜川では、事故が起きた10月29日に毎年、地元小学生も参加して石碑の前で追悼行事が開かれる。顕彰会は「地元の誇り」としてこれからも久田の偉功を語り継ぎたいという。(麻生慎士)
犯罪捜査に役立てるため、三重県警は19日、津市の県警本部で、似顔絵講習会を開いた。
県警本部や県内18署から若手警察官32人が参加した。
全国の県警で似顔絵指導をする警察庁指定広域技能指導官で大阪府警鑑識課・柴田武彦氏(60)が講師を務めた。参加者は2人1組となって互いの顔を描いたほか、講師が写真を見て述べた特徴を基に似顔絵を仕上げた。
参加した女性警察官は「性犯罪の被害は女性が多い。記憶の新しいうちに聞き取って事件解決に努めたい」と話していた。
県警によると、今年は7月末までに59の事件で62枚の似顔絵を作成。今年3月に男が民家に押し入った強盗致傷事件では、早期に被害者から男の顔を聞き取って聞き込みで活用するなど、3件が摘発の手がかりになったという。
国内航空3位のスカイマークが28日、自力再建を断念し、民事再生法の適用を申請したのは、格安航空会社(LCC)などとの競争で業績が悪化したことに加え、事態打開を目指して進めた航空機の投資失敗が重なったためだ。
投資ファンドが当面の資金繰りを支えるが、本業の再生に向けては全日本空輸を中心とするANAグループが支援に加わる案が有力とみられる。
スカイマークが苦境に追い込まれた背景には「二つの失敗」がある。
一つは、国際線への参入を目指し、年間売上高の約2倍に相当する1900億円をかけて、欧州航空機大手エアバスの巨大旅客機「A380」6機の購入を計画したことだ。
30%超の株を持つ筆頭株主で、社内で圧倒的な存在だった社長の西久保慎一氏が強行して決めたとされる。しかし、支払いが滞り、エアバスから7億ドル(約830億円)の違約金を求められる事態に発展した。
もう一つは、従来機である米ボーイング社のB737(177席)より座席が広いが、燃料などに2倍の費用がかかるエアバス社のA330(271席)を導入した点だ。LCCに押され、大手との差別化を図ろうとしたが、想定していたほど利用者が伸びず、さらなる業績悪化を招いた。「(過大投資が)経営体力に見合わなかった」(関係者)との指摘が出ている。